36人が本棚に入れています
本棚に追加
晴斗は彼をじっと見据える。
「あの人に捨てられたんですね」
その指摘に康太は言葉を失う。
「彼女と別れて傷心していたところで、たまたま僕と再会したのでしょう。それで、戻って来てもらおうとしているんだ」
図星だったのだろう。康太は一瞬だけ怯むが、すぐに気を取り直す。
「何言ってんだよ。俺はただ純粋にお前が心配なんだ。だからまた一緒に暮らそうと思ってさ」
「別れようと言ったのはあなたです。なのに都合よくやり直そうなんて虫がよすぎます」
男は鬱陶しいほど、晴斗を気にかけていると主張する。
こんな男を盲目的に好いていたのは、あの頃の自分が幼稚だったからだ。だが今は違う。この男の身勝手さに愛想が尽きた。
「――前はもっと可愛い奴だったのに、口答えなんかしちゃってさ」
康太は舌打ちをすると、唐突に手を伸ばしてきた。
気付いた時には晴斗の体は床に叩きつけられていた。背中に強い衝撃を受け、息ができないほどの痛みと恐怖に襲われる。
「俺の優しさを踏み躙った罰を与えてやるよ」
男は薄気味悪く笑いながら晴斗に圧し掛かってくる。けれど次の瞬間には、晴斗は彼の腕を強く掴んでいた。
「ぐっ」
抵抗されるとは思ってもいなかったのだろう、康太は驚きに目を見開く。
「こいつに手を出すな」
晴斗――否、彼に憑依した礼司が目の前の男を怒りを込めて睨みつける。
わけもわからないながらも康太は腕を振って逃れようとするが、礼司はそれを許さなかった。彼は容赦なく、康太の手を捻り上げた。
「いっ、痛ぇ」
康太が苦痛の声を上げる。
晴斗はそれを呆然と眺めていた。どうやらまた、礼司に肉体を乗っ取られてしまったらしい。
「な、なぁ晴斗やめてくれ。悪かった、謝るから」
情けない声で懇願されて、礼司は冷たい瞳になる。
「謝れば済むと思っているのか?」
「なんだよその態度! 俺が好きなんだろ? なら、俺に尽くせよ!」
「知るかそんなの」
吐き捨てるように言い放ち、礼司は拳を振り上げた。
「ちょっと待って、それ以上は駄目だ!」
晴斗が慌てて止めに入る。
「お願いだから、暴力を振るうのはやめて」
おずおずと説得を試みると、礼司は不服そうではあるものの渋々と康太を解放する。
「お前、絶対に後悔させてやるからな」
負け惜しみのように言い残して康太は部屋を出て行った。嵐が去った後のような静寂が訪れる。
「大丈夫か?」
「うん、平気」
それからすぐに礼司は体を返してくれた。
もし礼司が助けてくれなかったら、今頃どうなっていたことか。
「ありがとう。おかげで助かったよ」
「いや……もう少し早く止めるべきだったな」
「でも今回は僕が不用心だったから」
晴斗は力が抜けてその場に座り込む。そんな彼の姿を見て、礼司は不安気な様子だ。
「本当に大丈夫か?」
「えっ?」
「今にも泣きそうな顔をしているぞ」
そう言われても、晴斗には自分の表情がどんなものなのかわからなかった。
ただ今はとても気分が悪く、このままだと泣いてしまいそうなことだけは理解できた。
「本当に大丈夫だから、気にしないで」
晴斗は無理矢理笑顔を作って誤魔化した。
「疲れたし、シャワー浴びてもう寝るよ」
それだけ言って彼は風呂場へ向かう。
シャワーを浴びながら、晴斗の口から嗚咽が漏れた。色々な気持ちがないまぜになって、わけがわからない。
「う……っ」
晴斗は涙が止まらず、浴室でずっと泣いていた。
最初のコメントを投稿しよう!