歌うように嘘を吐き、踊るように騙される

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奏は歌うように嘘を吐く。 奏と出会ったのは高校一年の春だった。 たまたまクラスメイトの宮野と同じ中学とかなんとか、そんな理由だった気がする。 宮野と一緒にふざけあって歩いた桜並木の向こうから、奏は現れた。  「よう、久しぶり」 そう声を掛けられた奏は、一言二言宮野と話をしてから俺を見て小さく頭を下げた。 綺麗だな。 そう素直に思った。 耳が隠れる少し長めの黒髪は艶々とし、その向こう側に見えた切れ長の目は長い睫毛が縁取っている。大きすぎるカーディガンで体の線を隠していたけど、余計その細さを強調しているようだった。 「雄介、『彼女』俺の仲間。高校も俺らと同じ」 花吹雪の中、奏の唇が柔らかく弧を描く。 その美しさに俺は甘酸っぱく胸が締め付けられるのを感じた。 「は?」 しかしそんな俺の気持ちを弄ぶように4月入学式、新入生代表としてステージに上がった奏は不遜な微笑みを口元に浮かべて俺を見下ろした。 俺と全く同じ制服で。 「男じゃねぇか!!」 騙されたと知って、取り敢えず近くにいた宮野を小突けば「だって奏がそう言えっていうからさ」と悪気もなくペロッと自供しやがった。 ああクソが。 その瞬間から桜色の甘酸っぱい感情は途端に苦々しいものに変わり果てた。 それからというもの奏は俺に何かと纏わりつくようになった。そしてくだらない嘘をサラサラと歌うように紡ぐのだ。 「雄介、体操着忘れた。貸してよ」 「俺のじゃサイズでかいだろ、宮野に借りろ」 「えぇ、宮っちの汗臭い」 そう言って無理矢理体操着を奪っていった日、奏のクラスは体育なんか無かった。休み明け洗濯をされて返ってきた体操着は、ヤケに甘ったるい薫りがしてげんなりとしてしまった。 「雄介、先生が放課後図書室来いって。伝言頼まれた」 「は?」 この時だって俺は完全に信じたわけじゃないが、俺はくじに負けて図書委員に任命されており、しかも当番を何度も忘れていたので、いつかこんな日が来るじゃないかと戦々恐々としていたのだ。 しかし放課後の図書室にいたのは悪魔の様な笑みを浮かべた奏だけだった。 本当にムカつく。 「ごめんて。帰りマック奢ってやるよ」 本当に雄介は素直なんだから。と、奏は笑いながら俺の肩を叩いた。 なんだか悔しくて俺はセットの他にシェイクとアップルパイも頼んでやったが、奏は「デブるぞ」と言いながら楽しそうに笑っていた。 「中庭に猫が木から降りれなくて鳴いている」と言われて向かえば、木の下で「ニャアニャア」鳴いていたのは奏だった。 「猫じゃねぇし」 「いやぁ、僕は猫ちゃんですよ。可愛いでしょ?」 「良くて化猫だろ」 手を丸めて首を傾げる奏は見た目だけなら可愛い猫だ。でも俺を振り回すとんだ妖怪野郎であることは間違いない。 酷いなぁ。と、奏は笑うけど、何倍もお前のほう酷いだろ。なんで気づかないんだ。 胸の奥、あの甘酸っぱさが蘇るたび、俺は恨み言で蓋をする。 「演劇部でヒロインになった。お姫様」 「それは絶対嘘だろ」 誰も居ない放課後の音楽室で、今日もまた奏は歌うように嘘を吐く。 奏の声は男にしては少し高いアルトテノールだ。耳に心地よい音域ではある。しかし演劇部でもないお前が女子を押し退けてヒロインになれる訳がない。 イライラとした溜息を漏らすと、奏は慌てたように「本当だって。男子女子で別れて違う劇するんだって。僕可愛いから急遽抜擢されたんだよ」と、言い募る。 ちなみに女子は男装して歌劇するらしいよ。と続けた奏の顔を俺は胡乱げに見た。 「ヒロインおめでと。じゃあな」 「いやいやいや、なんで呼んだと思ってんの?!練習台になってよ」 縋る手をパンと払う。 なぜ無償でお前の相手役なんざやらなきゃいけないんだ。ギロリと睨んでやるが、奏はどこ吹く風といった様子だ。 自分の目の前に俺を立たせると満足げに笑う。 「王子役と身長差ピッタリ」 なら王子役の御本人を呼べば良いだろ。 そう言いたいのを堪えて見下ろすと奏は猫のように目を細めた。俺の言いたいことなんか全部分かっている、とその目が語る。 「ヤな奴」 音もなく笑う奏はひどく楽しそうに俺の首の後ろに腕をまわした。 いつもよりずっと近い距離、思わずその紅い唇に目を奪われる。艶々と濡れたそれに腹の奥がじんわりと熱くなった。 目を逸したかったが、挑発的に見つめてくる奏の視線に負けるのが嫌で、しっかりと見つめ返してやる。 余裕なんか無いのに必死に表情を殺して、俺はそっと柔らかな頬に指を滑らせた。 「セリフは?」 「無い」 そう言って幸せそうに俺の肩口に頭をつけ、ゆったりと身を預けてくる。 黒い髪から覗く白い首筋から、いつか体操着から香ってきた甘ったるい匂いが漂ってきた。 ああクソ、目眩がする。 俺は奏の華奢な腰に腕をまわした。肌が密着するようにチカラを込めれば、腕の中で小さく体を跳ねさせる。 「この嘘つきが」 いつものように恨み言を溢しても、胸の奥の甘酸っぱさは収まる様子がない。 「騙される方も悪い」 胸に埋めていた顔を上げて奏はニヤリと笑った。確信犯の笑みだ。 「この野郎」 腹が立ってギュウギュウに腕を締めると、奏はキャラキャラと笑い声を立てる。そして最後に胸に顔を埋めてしっとりした吐息をこぼした。 「雄介は踊るように騙されるから、大好きだよ」 その言葉は嘘なのか本当なのか。 どういう意味なのか、意味さえもないのか。 「どうでもいいか」 そう、どうだっていいんだ。 俺が奏の嘘に踊らされて、堕ちたことは間違いないのだから。
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