183.疑似

1/1
前へ
/367ページ
次へ

183.疑似

――全然違った。彼の目の奥の瞳には光がない。その視線の先は掴みどころがない。 「自分がと、店に買いに走ったんです」 「走った?」 「もちろん、車を走らせました」  一瞬走るマーレンを思い浮かべたが、そうではなかったらしい。そして、やっぱり送迎車があるのかと驚いた。 「もらって頂けたらと思います」 「代金を支払うことはできますか?」 「六万エンですよ」  リディアは肩を跳ね上げて、固まった。ウン十万エンもする靴もあるけど、これもリディアにしたら十分に高い。 「ええと、今は払えないけど明日――だって、あなた達の国民の税金でしょう?」 「いいえ」  彼はリディアが理解していないと思ったのか、付け加える。 「わが国では、王族も収入を得ています。殿下は、所領地があるので、そこからの収入です」 「つまり税金」 「それでも収入です。王族であっても株もやっていますし、王室グッズの販売、王宮イベントの招待チケット販売など、その他の所得もあるのですよ」  リディアが黙ると、ヤンは、話を元に戻しましょう、と続けた。 「――殿下には、国に婚約者がいます」 「え……」  リディアは声に出したことを恥じるように、口を押さえてすみませんと、呟いた。  何を驚いたのか。一国の王子だ、それも当然だろう。あまりにも自由奔放すぎて、そういう王族らしい面が全然見えなかったせいだろうか。 「ですからお気になさらず。殿下も本気ではありません、それを理解しての行動です。殿下も一時(ひととき)の疑似恋愛を楽しんでいるだけですので」
/367ページ

最初のコメントを投稿しよう!

132人が本棚に入れています
本棚に追加