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その夜。
私は、しーくんと逢っていた。
躊躇う彼に、私の方から「どうしても逢いたい」、と連絡したのだ。
「あの、さ。…俺たちしばらく…」
彼が言わんとする前に、私は彼の胸に泣きついた。
「しーくん!あーちゃんね、あーちゃん...すごく、
怖かっ...あ、あ、あああああっ」
「あ、あーちゃん...!」
背中に手を回そうとして、躊躇う彼。
私は自分の後ろに手をやって、強引にその腕を回させた。
「あのねあのね?会社に、奥様が現れて」
「あ、ああ。今日嫁が...そっちの会社に行ったらしいじゃん。それで…家のほうが大荒れ…」
「ねえ、奥様ったら酷いのよ?そりゃあ、怒るのは仕方のないことよ?
だから私、誠心誠意謝ったわ。膝を突いて頭も下げた。それでも許してくれなくて、私たちの“真実の愛”をつげたら激昂されて…」
「あ、あの、真実の愛って、俺は別に」
「私のスマホを取り上げられて、解錠しろって迫られて」
「あの…」
チラッ。
私は、覆っていた手から顔を上げると、上目遣いに彼を見つめた。
声のトーンを低く落とす。
「…ホラ、しーくんってさ。ハメ◯り大好きじゃん?一昨日の夜にシた時の動画が、偶然未編集で残ってて。
その後のふたりの会話とかも、丸ごと聞かれちゃったの…」
「え、えええっ!?」
彼の顔が、みるみるうちに青ざめた。
ふふふ、それはそう。
一昨日と言わず最近の彼は、奥様に対して、最悪の悪口を言っていた。
それこそ、私でさえヒくくらいに。
ま、本当は私がわざと聞かせたんだけどね。
やれやれ、やっと。
もう彼も分かっただろう。夫婦関係の再構築など不可能。
もう、後戻りは出来ないのだと。
後ろに回していた腕をだらりと下げて、言葉もなく立ち尽くす彼に、私は再び擦り寄った。
フフ。医者だろうが何だろうが、彼の本質は調子のいい八方美人。
ただし、最高級の、誰もが羨むステイタスを有する、八方美人だ。
…チョロいわ。
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