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 撮影終わりに、蒼士は暖を連れて事務所に向かっていた。  特にこの後暖の仕事はないが、社長から呼び出されている。  暖は社用車の後部座席で窓ガラスに額を預け、窓の外の景色をぼんやりと眺めている。  撮影終わりから機嫌が悪い。  理由はわかっている。  長身のため、暖にはモデルの仕事が多く来た。  事務所に所属して三年目、年齢は25才。最近は露出も増えた。  暖はどの現場でも不満を漏らさず真面目に仕事に取り組んでいるが、それは不満がないということではない。 「蒼士さん」 「呼ぶときは、中藤」  訂正すると、暖はしばらく黙り込んだ。 「モデルの仕事、多くないですか」  静かな声に避難する響きは無かったが、それだけに、ずっと胸の内にあった言葉を口にしたのだとわかった。 「モデルの仕事は、暖に向いてる。 『三瀬暖』が多くの人の目に触れることで、暖の望む仕事のチャンスも必ず増える」  三瀬暖は、俳優だ。本人もその仕事を望んでいる。 「……今日は事務所に阿仁(あに)さんも来てるらしい」  阿仁 圭一(けいいち)は暖の所属事務所、A&Aの看板俳優だ。  もともと阿仁の個人事務所として始まったこともあり、事務所の規模は小さく、所属しているモデルも俳優も少ない。  暖は阿仁を慕っているので話題に出したが、まだ機嫌は上向かなかった。 「蒼士さん」 「だから、ちゃんと名字で」  蒼士の言葉を、暖は静かに遮った。 「二人の時くらい、許して」  普段、人前では必ず名字で呼ぶ。  だが、暖は最初に出会った時の呼び名をいつも使いたがった。  蒼士は微かなため息をついて、左折のためにハンドルを切る。 「舞台に、立ちたい」  ぽつりと呟かれた言葉は、ほとんど独り言のようで、蒼士の返答など期待されていなかった。  だが、だからこそ、それは暖の本心だ。  蒼士は言葉に詰まった。オファーが来ていない訳ではない。オーディションもある。  だが、舞台は稽古期間と拘束時間が長い。その間入れられる仕事は限られる。 「すぐ、舞台の仕事もできるようになるよ」  慰めのように口にした。  なにも暖の望みを無視してこちらの都合を押し通したいわけではない。  仕事をする上で、折れて貰わなければならないことももちろんあるが、蒼士は本心から、暖のこれからの活躍を願い、支えたいと思っている。  窓の外を見たまま立った暖が、バックミラー越しに蒼士に視線を向けた。 「わかった。でも」  暖の声は静かだった。 「蒼士さんだからだよ。 蒼士さんの言うことだから、俺は頷いてる。 それは、知っててね」  蒼士は何も答えなかった。暖も、答えは期待していなかったのだろう。  それ以上、二人は何も話さなかった。
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