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事務所は小さいがこぎれいなビルだ。
スタッフもそう多くはなく、社長は未だに営業の一線に立ち続けており、阿仁圭一のマネージャーでもある。
二階のオフィス部分に入ると、そのまま缶コーヒーのCMにでもなりそうな光景が目に入ってくる。
春先らしい軽やかな素材のジャケットを羽織った阿仁圭一は、社長のデスクの傍らに立ち、何か書類を確認している。
三十八歳だが、メンテナンスを怠らない体と肌は三十代前半程度に見える。
だが若作りの不自然さはなく、映像作品に出れば、年相応の役もそれより上の役でも違和感なくこなしてしまう。
はっきりした顔だちだが嫌味やくどさがなく、品がいい。
そして、きっちりスーツを着込んで椅子に腰かけた社長の秋尾も、飛び抜けた美貌を持っていた。
切れ長の目に柳の眉、薄く笑んだような唇。人形めいた儚げな見た目をしている。
歳は四十五だというが、阿仁とは違い年齢不詳である。
三十だと言われればそうかと思うし、還暦を越えていると言われても頷いてしまいそうだ。
社長がパッと顔を上げ、その作りものみたいな顔で口を開けて笑った。
「おう! お帰り! 暖、お前にいい話が来たぞ」
愛犬でも呼ぶように思い切り大きく手招きをするので、二人とも社長の側へ歩み寄る。
「遅え遅え、ちゃっちゃと来い!」
社長の秋尾は見た目を裏切って余りある内面をしていて、暖は初めて社長に会った日、その見た目と中身のギャップに追いつけず、帰り道にこっそりと「何か脳が困った」と蒼士にこぼした。
阿仁は二人を見て、労わるような優しい表情で「お疲れ」と口にした。
「いい仕事取ってきてやったぞ」
すでに暖の目は社長の机の上の台本に釘付けだった。
目が輝いて口が薄く開く。
「……ほんとですか。作、江連タクって」
社長がにいっと笑って大きく頷く。
「舞台だ」
暖は「うわ」と小さく感嘆して、ためらいがちに台本に手を伸ばす。
手に取ると、表紙を飽かずに眺めていた。
「本当に、俺が出られるんですか? 演出も江連さん?」
江連タクは、最近は映像脚本も手掛けているが、元々は関西で劇団を主宰する演出家であり劇作家だ。
国内の大きな戯曲賞、つまり舞台脚本の賞を持ち、演劇界では有名だった。
「おう」
まだ信じられないように小さな声で確認する暖に笑って、社長は椅子から立ち上がって手を伸ばし、暖の頭をワシャワシャ撫でる。
「お前も阿仁も嫌味なくらいでけえな。
まあ、本読んで出るかどうか考えりゃあいいからよ」
「出たいです! 端役でもいい」
蒼士は社長を横目で見た。社長は涼し気な顔でそれを受け流す。
この仕事のことを、全く聞かされていなかった。
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