溶け合う境界

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 写真には、写っているものしか写らない。  当たり前のことだが、こういう現場では新鮮にそう思う。  人垣の一番外側で、中藤蒼士(なかとうあおし)は壁際にただ立っていた。  その人垣の中央、ここにいる人間の中で、唯一撮られる側にいる青年をそっと見つめた。  三瀬暖(さんぜはる)。  蒼士の勤め先である小規模な芸能プロダクションに所属している。蒼士は、暖のマネージャーだ。  今日はファッション誌の撮影だった。  184cmの長身は、ただ高いだけでなく顔や手足、腰の位置、それらの比率がいい。  理想的というより、好もしいバランスだった。  顔立ちも、派手ではない。  整ってはいるが、その気になれば世間の中に没入できるだろう。  いくぶん地味かもしれないが、それはこの仕事の場合、メイクでどうとでもなる。  実際、暖は化粧映えした。  これだけを挙げれば、芸能人としては非常に凡庸な部類に思えるが、決してそんなことはない。  蒼士は自分の審美眼を疑っていない。  暖はカメラマンの意図を汲みながら表情や立ち方を変えていく。  グリーンが配された自然光の入るスタジオで、暖は大量のスタッフに囲まれながら、そこにただ一人のように立っている。  あるいは、完成した写真を見る誰かと二人だけのように。 「暖くん、そのままで笑顔ください」  カメラマンの言葉に、暖は目を伏せて笑った。  その笑顔に、蒼士は密かにどきりとした。  人目を気にしない、ただ笑いたいように笑った顔だった。  だからこそ、その表情はひどく人目を惹く。  蒼士はスタジオの壁際で目を凝らすように細めた。  視界から暖以外を除くように。  容姿も、体躯も、派手すぎはしないだけで、やはり人より恵まれている。  人の意図を汲む能力や知性も美点だろう。  ただ、暖の魅力はこの表情にある。  誰にどう見られるかなど意識しない、暖の心のままにそうしているような表情は、それひとつで際立った天稟だった。  偶然、暖の視線が蒼士に向けられた。  暖が口を開けて楽しそうに笑う。  その笑顔に、蒼士は一人で静かに感動した。  蒼士が暖を見出した時と、それは同じ笑顔だった。
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