君が無邪気に笑うから。

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 その日は祖父の葬式へ来ていた。お経やら焼香やらが済み、祖父の入った棺桶は無慈悲にも、さっさと葬式屋の人によって何処かへ運ばれて行く。暫くしてそれが見えなくなったと同時に、彼は糸が切れたように崩れ落ちた。ぱたん、と軽そうな音が葬式場に響き渡り、大人たちが忙しなく動き出す。それに紛れて近寄って見れば、彼は意識を失っているようだった。  後から聞けば、祖父が死んだという知らせを受けてから彼は飲まず食わずの状態だったらしい。辛うじて水なんかは飲んでいたそうだが、育ち盛りの体であることに加え、精神的なショックも大きく、軽い栄養失調になり倒れたという。  当時僕は中学一年生で、携帯もなければ金もない。親に彼に会いたいと言うのは簡単だったが、何故だと言われるのか目に見えていた。「葬式の彼が綺麗で一目惚れしたから会いたい」なんて言葉を伝えられる筈もなく、上手い言い訳も思いつかないまま気づけば三年が経っていた。  僕は高校一年生となった。が、僕は彼の連絡先は疎か、彼の名前も知らないままだ。勇気を出してそれとなく親に言ってみたこともあった。しかし「私も彼を見たのはあのお葬式が初めてだったから、何処の誰かは知らない」と言われてお終いだった。  今通っている高校はそれなりに楽しい。友人もいるし、それなりに親しい先生もいる。けれど今になっても、僕はいつも心のどこかで彼を探している。  受験の時は彼に会うことしか考えていなかった。今考えたら、数多ある高校の中で一緒になろうなんて子供じみた馬鹿げた発想だったと思う。けど僕はそのくらい必死だった。  当時の背格好からして一先ず彼は年上だろうということはわかっていたが、どのくらいの学力かなんてわかりはしなかった。手当たり次第に勉強して、幅広い学力の学校と、男子校、国立だって受けた。けれど家庭的にそこまで多くの高校は受けられず、最難関の国立は落ちた。彼と僕が会える確率がどのくらい低いかなんて火を見るより明らかだったが、その微々たる可能性に僕は無様にも縋り付き続けた。結果として受かった中からとにかく人数の多いところを選んだ。偏差値は普通より少し上くらい。とりあえずはこれで良しと、何度も自分に言い聞かせた。しかし、入学してから二ヶ月が経つ今も、僕は彼を見つけられていない。  今日も今日とて成果は無し。はあ、とこぼした溜息は白く染まり、俺は帰路に着いた。途中、小腹が空いて近くの店に入る。そこはファストフードの大型チェーン店で、いくつか適当に注文して席を探した。  そして目の前の光景に、注文したものをトレーごと落とした。    当然、店内に音が響き渡り、視線を集める。お客様大丈夫ですか、と店員の声も聞こえる。けれど、俺はそんなことを気にせずに目先の彼へと駆け寄った。  「あの!……三年前、お葬式に来てましたよね!」  自己紹介だとか、目の前の人物が本当にあの時の彼かどうかとか、そんなものはすっぽりと頭から抜け落ちていて。僕は根拠のない、けれどこれまでの人生の中で一番の確信と共にただ必死に言葉を紡いでいた。  「……え?」   こちらの方を見ていたとはいえ、まさか自分のところへ来るとは思っていなかったのだろう。それもそのはず、そもそも僕は彼の名前を知らなければ、祖父とどう言う繋がりだったかも知らない。向こうがこちらを知らないのは当たり前のことだ。だから、祖父を名を告げ、少し言いにくかったけど、あの日見た彼の様子を伝えた。  「ああ、君、彼のお孫さんだったの。それで?」  俺になんの用があるのか、そう言外に問う彼の瞳は冷たく俺を見つめていた。  「あー、えっと……その」  涙が綺麗だった、なんて言っても気味が悪いだけだ。俺が答えを言い倦ねていると、  「すみません、お客様。お話中申し訳ないのですが、こちら片付けてしまっても宜しいでしょうか」  店員さんから声が掛かった。  「あ、えっと、すみません。自分でやります。あの、明日もここにいますか」  今日彼と話すのは無理そうだと思い、そう尋ねる。  「明後日なら来るけど」  「わかりました」  答えが得られたことに安堵し、俺はトレーを片付けると店を出た。  店を出ると、途端に汗が吹き出してきた。心なしか息も切れていて、極度の緊張からか心臓がドクドクと脈打っていた。突然の出来事に焦り、不安だったのだろう、と何処か他人事のように脳が分析する。勿論、初めから歓迎されるとは思っていなかった。彼はきっと繊細な人なのだから。人の死で自分を追い込んで、遂には倒れてしまうほどに。  次に彼と会うまで、あと一日以上時間がある。彼と何を話そうか、僕は必死に考えた。     そんな思いとは裏腹に一日なんてあっという間にすぎ、彼と会う日になった。この前と同じ時間、意気込んで店内に足を踏み入れる。今度は飲み物だけを注文し、今度はしっかりと悴む手に持ちながら彼を探した。しかし、彼はいなかった。  裏切られた、というのも違う気がする。もしかしから彼も用事があったのかもしれない。そもそも、来る時間帯なんてのも聞いていない。そう思い、僕は待つことにした。  それから待つこと数時間。時間は最早真夜中といって差し支えなかった。彼は来ない。間も無くこの店も閉店するだろう。どうして来なかったのか、僕にはわからない。けれど、ただただ悲しい、そんな理不尽な思いが僕の心を覆った。今日は諦めて家に帰るしかない、そう思ったところで  「マジでいた」  彼の声がした。驚いて顔を上げると、彼は季節に似合わない汗をだらだらと垂らしながら息を切らしていた。  「ほんと、もう帰ってるかと思ったのに」  「……来るって、言ってたから」  それから僕たちは場所を移し、二十四時間営業のカラオケへとやって来た。個室に入り、大画面の向こうで騒いでいるモニターを消す。なんの前置きをするでもなく、僕は話し始めた。  「僕、三年前の葬式であなたを見たんです。その、変だと思いますけど、誰かの為に泣くあなたの涙が綺麗だと思いました。僕の目には、この世のものとは思えないほど綺麗に映ったんです。それで、意識を失って運ばれていったあなたを探し続けました。正直、あなたと会って何をしたいとか、どうするのかとかは決めていない。だけど、あなたの名前だけでも知りたいと思ったんだ」  言葉がまとまらないまま僕は一気に捲し立てると、俯いたまま暫く顔を上げられなかった。突然、支離滅裂というか、無茶苦茶なことを言い出したんだ。当然彼から見たら僕は変なやつでしかない。けれど、失望、呆れ、冷たさ、そんな色を含んだ目で見られたら、僕の全てを否定された気になって生きているのが苦しくなるように思えた。  「……話はわかった。君が感じたものを変だと言うつもりはないし、これから会ってもいい」  ガバッと勢いよく上げると彼は驚いた顔をした。その瞳の色は上手く読めなかったけど、僕が恐れていた色は含まれていないように感じた。  とにかくすごく嬉しくて、教えてくれた名前を口元を緩ませながら何度も口にしたら彼に笑われた。  あの日とは違う、明るい顔。空っぽで冷たい、そんな表情しか知らなかった僕は、その表情の変化を前に、どうしようもない嬉しさを噛み締めた。あの日、あんな絶望を抱えた君を誰がここまで変えたのか、その問いからは目を背けて。
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