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正直、ここで引き返すと言う選択肢が無いことは始めから分かってた。私と琢磨君の痴話だけのことじゃ無いからね。どうしてもタブレットを取り返す......その目的から目を反らす訳にはいかない。そろそろ私も観念しなければならなかった。
「大丈夫か?」
「もちろん!」
「よし、その意気だ」
因みに、このマンションを訪れるのはこれで3回目。何しにやって来てたんだ? なんて野暮な質問は勘弁して欲しい。琢磨君も私も既に成人した男女。自分達のすることに自ら責任を取れる年齢であることを理解して欲しい。
「それで......どうするの?」
確かに今私達は、琢磨君のアジト(マンション)に乗り込んで来てる。そこまでは理解してるけど、この後の段取りについては全く見えてない。
まさかいきなり押し掛けて、『タブレット返せ!』なんて豪速球を投げたところで、素直に投げ返してくれるとは思えなかった。
「そんなの当たり前だろ。俺達は宅配業者だ。宅配業者が荷物届けないでどうするんだ?」
見れば何と、喜太郎さんは車の後部座席に置いといたクシャクシャの紙袋を抱え持ってるじゃない! しかもいつの間に伝票が貼られているし。
「ま、ま、まさか......それを届けるつもり?!」
「だって琢磨に渡す為に買って来たんだろう? これを渡さずして何を渡すってんだ? 何か俺、間違ったこと言ってるか?」
なんか喜太郎さんがそう言うと、それが正論に思えてしまうから不思議なものだと思う。確かに私は彼にプレゼントする為にそれを買って来た。そこは間違っていない。でもそれは琢磨君が彼氏だった時点での話で、今は悲しいことにそうじゃ無い訳だから、話は根本的に覆ってる。
現実的な話として、振った女からのプレゼントなんて、彼は受け取らないと思う。宅配業者を装って玄関を開けさせるだけの為なら、別に『Paul Smith』じゃ無くてもいいと思うし、目の前で拒否されるところなんか見たくも無い。
正直、これ以上自分の心を傷付けたく無いと思う私はわがままなのでしょうか?
なので、
「出来れば......それ止めて欲しい」
「きっと琢磨はこのプレゼントを弾くだろうな。でもこれじゃ無いとダメなんだ。辛いとは思うけど、少しばかり我慢してくれ」
聞き入れてはくれなかった。きっと私ごとき凡人では計り知れない何か深い意味が有るんだろう。実際のところ、ここまで落ちてしまうと、もうどうにでもなれ! 的な、開き直りの感情が生まれていたこともまた事実だった。
「分かった......良きように」
「でも絶対にタブレットを取り戻すから......悪いな」
「いいえ」
意外と優しいところも有るんだな......などと思いつつ、私と喜太郎さんの2人は遂に戦地へと足を踏み入れて行ったのでした。
※ ※ ※ ※ ※ ※
ピンポーン......まずはエントランスの手前で『901』を押してみる。カメラ付きインターホンだったから、私は慌てて喜太郎さんの背中に姿を隠した。
今私は凄い緊張してる。逃げ出したいくらいに超緊張してる。タブレットが返って来ないのはもちろん困るけど、心の奥底では、出て来ないで欲しいと願うもう一人の自分が居たりもした。
会いたい、でも会うのが怖い......タブレットは出て来て欲しい、でもあなたが犯人であって欲しくない......何度考えたところで、そんな全ての望みが一度に叶う魔法など存在する訳も無かった。一得一失......自分に待ち受けている未来なんて、良くてもそんなとこなんだろう。
そして、そんな長くて短い待ち時間は、あっと言う間に過ぎ去っていったのでした。
「はい」
それは嬉しくも悲しくも、聞き慣れたその声だった。途端に私の心臓は破裂寸前。そして身体は感電したかのようにガタガタと震え出してしまう。
「宅急便で~す」
「ああ......どうぞ」
ピピピッ、ギー......僅かな電子音の後に観音開きの自動ドアがゆっくりと開き始めた。喜太郎さんは至極当たり前のようにエントランス内へと足を踏み入れていく。
しかし私の足は中々第一歩を踏み出せなかった。きっとその者の前に立つ心の準備がまだ出来ていなかったんだろう。そんな私の金縛りに気付いた喜太郎さんはと言うと、
「車で待ってるか? 俺一人で行って来てもいいぞ」
「いいえ......この目で確かめるわ。でも私は、彼が犯人で無いことを今でも信じてる。もし犯人だったとしたら......私、辛過ぎますから」
「いや、琢磨が犯人だ」
「いいえ、犯人じゃ無い!」
「絶・対・に・琢磨が犯人だ」
「絶・対・に・琢磨君は犯人じゃ無い!」
「じゃあ、賭けるか?」
「いいわよ」
「もし犯人だったら、俺の奥さんになれ」
「???......ちょ、ちょ、ちょっと何言ってんのよ?! あなた既婚者でしょう?!」
「ハッ、ハッ、ハッ......冗談だよ。何顔真っ赤にしてんだ?」
多分だけど......その時私の顔はほんとに真っ赤だったんだと思う。それは怒りから発生した現象だったのか、それとも別の感情から起因したものだったのかどうかは分からない。だだ顔がやたらと熱かったことだけは今でもしっかり覚えてる。
そんな揺れ動く気持ちを押し消すかのように、私は喜太郎さんを追い抜き、一気にエレベーターへと駆け込んで行った。
「置いてくわよ!」
「へいへい......」
1F、2F、3F......高速で上り詰めていくELVの中、なぜか二人して無言だった。妙に空気が重くて息が詰まりそう。全く......変な冗談言うから、こんなことになるんじゃない! もう勘弁してよ......
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