13話 きみがクジラなら、僕はフジツボで

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「水族館にクジラがいない理由、カナミは知ってる?」 「え、ううん」  可波の隣にぴたりとついた華子は、返事を聞いて得意げに答える。 「4メートル以下がイルカ、それ以上をクジラっていうから、だいたい水族館にいるのはイルカなんだって」 「へー。大きさで名前が変わるなんて、出世魚みたいだねぇ」  華子が目を向けた壁一面の大きな水槽には、白いイルカが泳いでいた。  小さなホールには水槽に向けて、150人ほど入れるチェアが段差になって並んでいる。  ショータイムが終わったあとなのか、お客さんの数はまばらだった。 「この子たちはベルーガって名前で、人間の言葉をマネするんだよ。あたしより賢いかも」 「へ〜」 「そこはフォローだろがい」  華子は肘で可波の脇をこづくと、水槽に手を当ててうれしそうに中を見上げた。  無意識に可波も同じように手を触れていた。水に触っているわけではないのに、じわっと指先が湿る気がした。  頭のずっと上方を、白いイルカが悠々と横切っていく。 「あたし、クジラが大好きなんだ」 「うん」 「だって800km離れた相手ともコミュニケーションできるんだよ? だいたい東京から札幌くらいの距離かな」 「それなら聞いたことあるかも。えっと、テレパシーだっけ?」 「あはは、なにそれ。周波数……圧力波ってのを使ってるんだよ」  餌の時間なのか、水槽を自由に泳いでいた白いイルカたちが天に登るように上へと集まって行く。  それは一斉に。  白が浮かび上がる様は神秘的だった。 「でもあながち、テレパシーでも間違いないかもね。見えない相手に声にならない声を届けるんだし。きっとそこには、何の偏見もなくて……」  華子の声が震えているのに気づいたとき、彼女は空っぽになった水槽の、天井の一点を見上げたまま涙をこらえていた。 「ねえ、カナミ。あたしクジラになりたいんだと思う」  可波は黙って小さく相槌を打つ。 「見た目とか、環境とか、肩書きとか。そういうので判断されて苦しいよ。あたしは高校生のころから何も変わってないのに」  絞り出すような悲痛な声が、後に続く。 「20歳すぎたら大人だって常識を押し付けられて、社会に放り出されて。なのにさ、仕事では非常識なあたしを求められるの。そんなのすごく矛盾してる。窮屈だよ。それにうまく順応できない自分も嫌だ」  苦しみを噛み締めるように、華子の口元が引き結んだ。  その心にこびりついた痛みが。  可波にも伝染するように、指先から冷たさが体に広がる。
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