13話 きみがクジラなら、僕はフジツボで

7/7
前へ
/164ページ
次へ
「待って、カナミのことも教えて!」  順路に沿って通路へ出たとき、華子が頭を後ろに倒して可波の胸に寄りかかった。 「え? 僕?」 「うん、そういえば今まで一生あたしの自分語りだったから」 「え、あー」 「あんたのことも知りたい。……ダメかな」  可波は何もない宙に視線をさまよわせてから、華子の隣に立った。 「ダメじゃないけど、うーん普通? モブみたいな人生だよ」 「モブって、その他群衆ってこと?」 「フジツボって自分で長距離移動できないから、クジラに寄生して海を渡るんだって」 「うん」 「華ちゃんがクジラなら、僕はフジツボなんだと思う」  華子が首をかしげる。  彼女のような主役には、可波の気持ちはわからないだろう。  だから今まで、可波は自分の考えを誰かに話すことを避けていた。  例えば。 「戦場に立つヒーローが脱ぎ捨てたコートを誰にも見られないように回収する人は、物語には必要でしょ?」  別に自分を卑下しているわけではない。  本気でそう思っている。  それはわりと早い年齢から。  自営業の親の代わりに妹をほとんど育てたこととか、器用貧乏でそつなく人助けをこなしていた中高生時代とか。  そういった経験を重ねて、可波は自分がモブの立場だと自覚していた。 「僕の人生はとても穏やかで、逆に言うと、大きなドラマがないんだよねぇ」  だからいつしか、可波は、誰かの人生に乗っかろうと思った。  高校のときに好きでもない子と恋人になったことも。  怪しいインフルエンサー事務所に住み込みで働くことも。  可波にとってはドラマを見るためにごく自然な行動だった。 「……あんた、実はこじらせてる?」  ため息をついて、華子は可波の手を取った。  いつもと違うのは、指を絡ませていたこと。  いわゆる恋人つなぎってやつ。  指の細さや手の柔らかさや体温など……彼女という生命が手のひら全てから伝わってきて、どきりと胸を打つ。 「あたしのそばにいなよ」  水槽を見つめる彼女の声からは、いつもの棘が抜けているような気がする。 「絶対に、あたしがあんたをモブなんかにさせないから」  ……言っていることは高圧的だけど。  普段ともさっきまでの気弱な雰囲気とも違う、穏やかだけど芯を感じる口調。  なにか吹っ切れたのか、そうでないのかはわからないけれど。  ただ、彼女が。  華子が、華子自身であることを選び取ろうとするのなら。  可波はいつだって支えたいと思うのだ。 (強がってるのに、手が震えちゃってるもんなぁ)  そんな野暮なことはもちろん口に出さない。  視線を合わせようとしない彼女の隣で、そのかわいらしい震えが止まりますようにと願いながら。  いつの間にか愛おしさを感じるようになっていた小さな手に、自身の体温を込めた。
/164ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加