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どうあがいても、状況は最悪だった。
乾かしたとしても文字は戻らないだろう。
雨に打たれた時点で、結末は決まっていたのだ。
「ごめん、最低だ。僕が考えなしにあんなこと言ったせいで……。華ちゃんの大事な資料を、全部、ダメにした……っ」
土下座するようにうずくまり、みっともなく嗚咽を漏らす可波のそばに、華子はしゃがみ込んで抱きしめた。
「なんでよ……。あたしのために、あんたが落ち込むことないから」
抱きしめたまま、華子は可波の背中を優しく撫でる。
可波はゆっくりと顔を上げた。
彩度の低い世界。
雨で髪の毛が張り付き、すっかり幼い素顔をさらけ出した華子と顔を突き合わせる。
「でも、僕が、僕がいたからこうなって。それに、もし僕が“華ちゃん”呼びしていることも、負担になってたなら、僕は……」
許して欲しいとは望まない。
償えきれるなんて思っていない。
彼女のためならなんだってするつもりだし、何度だって頭を下げるだろう。
「もういいって……」
けれど、全てを捧げても、結局解決につながることが一匙すら叶わない自分なんて、本当に役立たずなモブだと嫌になる。
「ごめん……」
「うるさいな、そろそろ黙って」
「でも――っ!?」
乱暴に襟元を掴まれて、殴られると思った可波は目をつむった。
だけど――。
痛みの代わりに、強く唇を塞がれる。
「っ!」
喋ろうと口を開けた瞬間、舌が無理やりねじ込まれた。
冷えた唇からは考えられないくらいの口内の温かさと荒々しさに、息を忘れて意識が飛びそうになる。
――。
近くで雷が落ちたのをきっかけに目を開くと、華子の顔が離れた。
「……あのさぁ、あたしを誰だと思ってんの?」
ぽたりぽたりと、前髪から雫を垂らして。
華子がゆっくりと顔を上げる。
「あんなの、全て頭に入ってるんですけど。――天才をなめないでくれる?」
轟音を響かせ、また雷が近くに落ちた。
不安定な色の空にチカチカ光る雷を背負い、悪役のように傲慢な笑みを浮かべる“泥酔のはす”。
ああ。
この子はきっと無意識に。
誰かのためのエンターテイナーであろうと身体が動くのだろう。
それが悲しいほどカッコよくて。
華子のままでいて欲しいと願いつつも、泥酔のはすはまぎれもなく彼女の一部で。華子と同じくらい大切にすべき、もうひとりの彼女の姿だ。
「名前で呼ばれるの、嫌じゃない。てかさっき“のはす”って呼ばれて悲しかったの、自分でも驚いた。だったらあたし、のはすとも華子とも仲良くやってみるから! だからカナミ、これからも……っ」
気丈に振る舞っていた華子が、ついに言葉を詰まらせた。
たまらなくなって、可波の目からはふたたび涙があふれる。
それでおろおろし始めた華子がかわいくて、飛びつくように抱き締めた。
愛おしさで、胸が詰まって破裂しそう。
「ねえ僕、華ちゃんのことが大好きだ!!」
「っ!? あっ…………たし、も……」
遠慮がちに背中に回された手に、力が込められた。
冷たい雨の中で、抱き合った心臓の部分から、じんわりと身体中に温かさが広がっていく。
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