こねこのこえは、ときにせつない

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こねこのこえは、ときにせつない

 春の夜、子猫が鳴いていた。高い声で続く悲しそうな声は、母猫を呼ぶそれなのだろう。だが、子猫が幾ら鳴いても、母猫が向かえに来る様子は無かった。だから、ずっと鳴いていた。  声が複数ではない辺り、弱い個体が置いて行かれたのだろう。野良として生きるには、足手まといの面倒をみる余裕は母猫にはない。母猫自身、生きるのに精一杯だから。  日々、当猫の腹を満たすだけでも難しい。悪意を持った人間もいる。そんな環境で、足手まといにしかならない個体に食料を分け与えるのは、全滅のリスクが増える。  全滅より、切り捨て。種の存続には仕方のないことである。先進国の人間でさえ、切り捨てられる者は居る。なんの社会保障も得られぬ猫に、救いはあるまい。特に、他よりも弱い個体は。  必死に鳴く声は、段々と弱くなった。小さな体に蓄えていた力は、体が小さな分少ないだろう。放置したら、鳴いている子猫に待つのは死だ。  人間の子供も、声を上げたところで救いがない時はある。年に一度は、ニュースになるだろうか? その度に児童相談所が匿名で責められ、暫くすれば亡くなった子供のことは忘れ去られる。  人間の子供でさえ、救うための施設があってさえ、救いを求める声は無駄になる。人間の子供の場合、特に酷い事件だけはニュースを介して広まる。  だが、子猫が上げた声など、保護団体位しか聞いてはいないだろう。保健所に連れていかれないまでも、亡くなる子猫は沢山居る。  沢山亡くなるからこそ、何匹も産んで、その中で一匹でも生き残ったら儲けもの。それなのに、生き残るのは大変なのに、嫌われてしまう猫。庭の無い住宅なら、被害などたかが知れている。なのに、嫌う人は嫌う。それが、現実だ。
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