いつでも誰かが

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いつでも誰かが

 ヒグルマは旅に出ました。村むらや街を回り、となりの国へも行きました。そうして歩きながらずっと、妹の名を呼び続けたのです。 「いくら呼んだって、声は届きゃしないぜ」  旅籠(はたご)の亭主が、宿の酒場で昼ごはんを食べるヒグルマに語りかけました。 「でもご亭主、女神さまのお告げなんです」 「だったら(うた)にすればいい。ありふれた名前でも、歌にすればみんなが口ずさむ」  ヒグルマは、「なるほど」と思い、妹のための詩を編みました。 「ひまわりよ おひさまに向かう ひまわりの花よ……」  そのうち詩には節がつき、ヒグルマはとくいの楽器(ビワ)を手に歌い歩くようになりました。 「呼びかけておくれ ネノカタスにいるぼくの妹へ……」  ヒグルマは街道の(つじ)で歌い、街の広場で歌い、夜の酒場で歌いました。  いつしか「ヒマワリの歌」はヒノ国中で口ずさまれるようになりました。それどころかまわりの国ぐにでも、妹の名が人びとの口の端に上るようになったのです。  あるときヒグルマの前に、だらけのズボンをはいた農夫が現れて、手を合わせました。 「私の息子も行方が知れぬ。吟遊詩人(ぎんゆうしじん)どの、どうかあなたの妹とおなじように歌ってはくれないだろうか」  ヒグルマはこころよく引き受けて、農夫の息子の詩を作り、歌い歩きました。 「うちの娘もさらわれた」 「おともだちが、ネズミに……」  いなくなった子どもの数だけ詩が生まれ、千万の人びとが子どもたちのための詩を歌いました。  そうしてヒノ国では広場で、酒場で、街道で、いつでも誰かが、どこかの子の名前を呼んでいるようになったのです。
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