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「――でも、ピエムスタに行く前のリシャールは、なんだかわたくしを避けているようだったわ。雷が鳴っても一緒に寝てほしいって言わなくなったし、ピエムスタの遊学への件も、わたくしに黙って勝手に決めてしまうし」
「お坊ちゃまは小さなころから利発で、大人びていらっしゃいましたから。自分のことは、自分で決めたかったんだと思います。そんなお坊ちゃまも18歳になられたなんて! きっと立派に成長されたことでしょうね」
コルネリアは不思議な気分になった。遊学に行く前のリシャールは、大人びてはいるものの、まだあどけなさの残る少年だった。身長もコルネリアより低かったはずだ。
「正直な話をすると、リシャールが成長した姿なんて全然想像がつかないの」
「きっと、コルネリア様より背も高くなられたことでしょうね。お坊ちゃまとおいそれと呼べなくなりますねえ」
「そうよ。……リシャールは領主になるんだから」
コルネリアは遠くを見つめて成長したリシャールの姿に思いをはせた。視線の先には、夜になってもなお明るい城下町がある。コルネリアはこの風景が好きだった。しかし、この風景を見ることができるのも、残りわずかだ。
全てが落ち着けば、コルネリアはリシャールに離縁を申し込もうと考えていた。
「リシャールが領主になれば、わたくしはようやくお役御免ね。この城ともお別れだわ」
「……コルネリア様は、本当にこの城を去られる気なのですか?」
「ええ。そのつもりよ。わたくしはしょせん、リシャールの仮初の妻。お飾りの妻がいたって、リシャールもやりにくいでしょう」
コルネリアはあくまで淡々と答える。
父王であるセアム3世と約束したのは「数年間荒廃したエツスタンを守ること」だ。コルネリアは言いつけ通り、エツスタンを守りきった。リシャールが無事に帰還し、領主としての引継ぎを終えさえすれば、自分の役割は十分果たしたと言えるだろう。
――破婚が成立すれば、田舎の領地でももらってのんびり暮らすのよ。
この計画を話したのは、信頼できるサーシャと執事のセバスチャンだけだ。いつもは真っ先にコルネリアの味方になってくれる二人ではあるものの、今回ばかりは猛反対している。
サーシャは必死で訴えた。
「コルネリア様はずっとここにいるべきです。エツスタンをここまで復興させたのは、コルネリア様なんですから!」
「そう言ってくれるのは、すごく嬉しい。でも、エツスタンを復興させたのは、この地の人々よ。わたくしは、そのお手伝いをしただけ。よそ者の私がずっとここに居座るのは間違っているわ。本来エツスタンは、エツスタンの民の国なんだもの」
「そんなことありません! 昔と違って、エツスタンの人々は、ピエムスタ共和国に多大なる恩義を感じておりますし、本当にコルネリア様のことが大好きで……ッ」
「サーシャはわたくしを買いかぶりすぎよ。それに、わたくしはこれから不幸になるわけじゃないの。これからは、田舎町で刺繍でもしながらゆっくりするわ」
「コルネリア様は、こういう時だけすごく頑固です」
サーシャは不服そうに頬を膨らます。コルネリアは困った顔をした。
「これは当然の決断よ。本当に可哀想なリシャール。政略結婚で、わたくしなんかとの結婚を勝手に決められて。でも、これからはリシャールも好きに生きてほしいわ。好きな人と恋に落ちて、子供だって……」
一抹の寂しさが、コルネリアの胸をかすめた。長らく会っていないけれど、昔と変わらず弟のように大事に思っているリシャールと別れるのはつらい。
しかし、コルネリアは(リシャールの幸せのためよ)と、己の甘さを叱るのだった。
「ねえ、サーシャ。この話はおしまいにしましょう。この城の主人を迎える準備をしなくてはね。可愛いリシャール坊やがせっかく帰ってくるんだもの」
コルネリアは、胸の中の寂しさを追い払うように立ち上がる。何か気がかりなことがあった時は、実務的な仕事をして気を紛らわせるのが彼女のいつものやり方だった。
現に、この城の主を迎えるためにいくつか最終確認をしなければならないことがある。サーシャの手を借りて着替え終わった今、ぼんやりしている暇はない。
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