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「さあ、仕事の時間よ。まずエントランスに行ってセバスチャンとお話を――、」
――刹那、慌ただしい足音とともに、急に扉が開いた。
ノックもせずにレディの部屋の扉を開ける不届き者の登場に、サーシャの顔がサッと険しくなる。
「誰ですか! この部屋はコルネリア様のお部屋ですよ!? それなのに、ノックもせずに部屋に入ってくるなんて、なんて不作法な、きゃあっ!」
入ってきた人物の顔を見て、サーシャは黄色い悲鳴をあげた。
それもそのはず、コルネリアの部屋に入ってきたのは、背の高い美丈夫だった。
髪の色はプラチナブロンドで、幾らか厳しすぎる鋭い輪郭に、近づきがたいほどに整った顔立ち。
なにより目を惹くのは、冷たい星を宿したようなアイスブルーの瞳。その瞳は誇り高く、そして懐かしい――……
「コルネリア!」
「ええっ、り、リシャール!?」
驚きのあまり、コルネリアの声がひっくり返る。
そこにいたのは、すっかり成長した18歳のリシャールだった。今や背はコルネリアの身長より頭一つ分以上大きくなり、線の細かった身体も厚みを増し、歴とした男らしい体つきだ。
よくよく見ればリシャールのプラチナブロンドの髪は乱れ、騎士団の正装である金鋲と豪奢な刺繍で飾られたぴっちりした服も、どこか埃っぽい。かなり急いで帰ってきたらしい。
「早くコルネリアに会いたくて、護衛たちを置いて帰ってきてしまいました」
聖歌隊の少年が歌うように柔らかだった声は、すっかり声変わりをして、耳に心地の良いテノールボイスになっている。所作も優雅で美しい。
リシャールは、ピエムスタ共和国の遊学を経て、非の打ち所がない、立派な紳士となって帰ってきたのだ。
――ああ、わたくしは、いつまで経ってもリシャールだけはずっと子供でいてくれると、思い込んでいたのかもしれない。3年の時が経ってもなお、リシャールは可愛い坊やだと思い込みたかったんだわ。
相手はもう、かつて弟のように可愛がっていた『リシャール坊や』ではない。この土地の新しい領主なのだ。あまりなれなれしいのも良くない。――それに、近々コルネリアは彼に離縁を申し込む気でいるのだ。
コルネリアは居ずまいを正すと、深々と腰を折った。
「エツスタンの真の領主に、ご挨拶申し上げます。ようこそお帰りなさいました、リシャール様」
「ただいま戻りました、コルネリア。元気そうで何よりです。しかし、久しぶりに夫に会うっていうのに、そんな質素な服を選ぶなんて」
コルネリアに向けられた親しげな笑顔は、確かに懐かしいリシャールのもの。それなのに、コルネリアの心臓が、なぜだかふいにトクンと震えた。
――え、今のはなにかしら……?
コルネリアが不思議な鼓動に戸惑っていると、アイスブルーの瞳が、まっすぐにコルネリアを見つめてくる。
相変わらずコルネリアの心を囚えて離さないその瞳は、不思議な熱を帯びているように見えた。
「コルネリア、ますます綺麗になりましたね。質素な服でも、貴女の魅力は隠せない」
「……ッ!」
急な褒め言葉に、コルネリアは目を見開いて口をぱくぱくさせた。胸の中の「雷を怖がる可愛いリシャール坊や」が音をたてて崩れていく。
そのうちに、城で働くメイドたちが主の帰還に気づいて大騒ぎで部屋に押しかけてきた。みな、口々に「おかえりなさい」と口にし、リシャールは穏やかにそれに応えていく。
コルネリアがそっとリシャールの瞳をみると、あの不思議な熱は嘘のように消え失せていた。
その夜、エツスタンの城には華々しい金の刺繍飾りの旗が掲げられ、エツスタンの人々にリシャールの帰還が知らされた。
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