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「Kが、、そんな、、嫌だ、嘘だよ」
少女の瞳がすぐさま水を吸った海綿のように脆くくすんでいくのを、老人は柳のように背を丸めて不気味な猫の目を狡猾に向けて、見逃さなかった。少女の泰然は虚構に限りなく接近した砂上の楼閣に過ぎなかったのだ。それは少女には居なかった、居ることの許されなかった同級生たちが自律を志向し始め、彼らの両親に自分は何でも出来るよ、と過度に誇示する特有の強がりや反抗にも似ていた。老人は少女をこのまま修復不可能になるまで追い詰めて自分という機械の一部分に組み込むことを夢想していた。かつて老人は委員会の党首に昇りつめるために同じことをしていたと感慨深い想いに耽っていた。あの時は、老人は思想的ブラックホールであった。吸い込まれて養分になった者はその混沌に意味を見い出せず、盲目的に彼に同調することで自分がかつて繋がっていた思想に間接的に奉仕することを暗黙していたのだと老人は想った。だが、今は違う。少女は自らの思いのままとなり、理想郷はまもなく完成するだろう。自分の思想的は彼女の生贄があるからこそ栄耀するとさえ思われた。だから老人は少女が欲しかった。生きたまま呑みこんでしまいたかった。そう考えた時、老人は自らの少女に対する逆説的な恋心に気づかされたのだった。
「Kは言った、お前は子供たちの未来の息吹を潰す、害悪だと。Kはお前を畏れ嫌っていたよ」
「嘘、嘘だよ、そんなの嘘だよ」
少女はおどけて肩をすくめる仕草をしようとしたが、その肩は焦燥の息に駆られて、あるいは嗚咽に撫でられて痙攣していた。必死に抗弁を試みようとしたけれど、少女の心はどこかでそれを放棄していた。だって相手はKだから。少女が一番愛しているKだから。少女はとうとうへたりこんで泣き出してしまった。その祝福の慈雨を浴びながら老人は続けた。
「なぁ、チェル。お前も本当はよくわかっているんだろう?どうして医者たちはお前を監禁したのか。微熱程度で隔離されてさ、あげく化け物とやらにまで身体中を弄りまわされる羽目になったんだろう?」
「やめて、、やめてよ」
「なんでお前は母親や妹たちと逢えなくなって、こんな辺境の地にまで穢らしい軍人どもがやって来て、血眼になってお前を殺そうとしているのか。森は死滅し、どうしてお前は耳を狩る必要があるのか」
「やめて、嫌だよ、それ以上は、、」
「それはお前が世界を壊滅しうるほど危険な存在であるからだ。お前はそれを隠匿したのだ、私たちにも、お前自身の中でさえも。お前は自分の耳も狩りとって聴こえない振りをしているんだ、お前は未来の息吹を根絶やしにするために生まれた爆弾だ」
「違う、違うよ、私は危険なんかじゃない、、から」
少女は泣くことも出来ずに、老人を仰ぎながら蚊の鳴くような声で拘泥した。少女はやがて蝉の抜け殻のような冥い瞳を浮かばせた。少女は一瞬、老人が憐憫の眼差しでみやったように見えた。たが、その希望は瞬時に老人が焚火を蹴り上げたことで虚しく崩れさった。散らばった黒く脆い木々の橙や朱の傷口を顕にしている、その間隙に灰色に燃え残った耳の一部を発見した時は微笑さえ浮かべた。私はKの耳も狩りとっていたんだ。Kは私を嫌悪している。あたりまえだ。私はKを護るどころか、全世界の害悪として唾棄されるべき存在だったんだ。Kが楽園に連れて行ってくれるなんて妄想をいつから私はしてたんだろう。私は生まれるべきではなかった。どうして私はそれに気づかなかったんだろう。少女は転がった煎り豆のような耳の破片を眺めながら想った。
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