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もの言わぬ潅木の森を少女はあまり好きではなかった。そこは鴉さえ寄りつかない、死んだ森だった。まるで酸性雨を浴びたような木々たちは一様に橙色をしていた。そこを歩くたび彼女の腕の瘡がしくしく痛みを放つのだ。まるでそれらは水を求める魚のように森を希求していた。その理由を少女は知らない。けれどもその理由を考えてみたことがある。解放してほしいのかな、とか。もし瘡たちが解放してくれとせがむからどうして?自分から望んで私の背中に住んでるのに。しかし少女は何となくその気持ちがわかる気がした。少女は彼女の母親とは暫く逢っていない。漠然とした矛盾はよくあるものなのだ。
潅木の上をよろめきながら少女は進んだ。時折嵐の前のような生暖かい不気味な風が少女の髪を撫でたりした。そのたびに瘡は揺れ、彼女は恐怖で涙を浮かべた。けれども進むしかないのだ。とって来なければならないものがあるからだ。彼女は短い咳を断続的に繰り返しながら潅木を渡りきって倒れるように座った。息がきれる。胸が締めつけられるように傷んだ。そんな時彼女は首許のペンダントみたいな容器から固形状の無機的な匂いを放つ錠剤を飲みこんだ。彼女は錠剤が苦手だった。けれど、錠剤にすれば長持ちがきくから、と彼女の祖父はシロップや粉末状の薬を許してくれなかった。あるいは、祖父は飲み薬をつくれないのかも、少女は思った。彼女の薬を調合するのは祖父の役目だった。
暫く休憩していると、野辺にレモン色の小さな花が咲いていた。それは曙の光に白く、そして淡い黄色に染め抜かれるまで、寂しさに夜露を震わせながら俯いていたに違いない。彼女は憐憫の眼差しを向けた。まもなく少女によって丁寧に摘み取られたのは言うまでもない。摘み取られた雑草は少女の味方をしてくれるだろう。あるいは姉妹の厚い紐帯で結ばれているようだ。
少女はようやく目的地に辿り着いた。少女は汗を満足気に拭った。と言っても、毎朝同じことを繰り返してここで他人の耳を狩るから、彼女に特別感はない。だが、散歩をするのは悪い気はしない。あのごつごつヒノキのところを通らなければ、もっといいけど。少女は思った。そして道の前に洗濯物の山みたいに累々と気づかれた屍を乗り越えながら新しい耳を少女は探した。底のほうから狩りとっていたから、不安定な屍の丘を登らねばならない。さながら少女はイエスの気持ちだった。彼は殉教者で築かれたゴルゴダの丘を真新しい木で造られた十字架を背負って、茨の冠で出来た傷は汗に滲んで私みたいに昇っていくんだ。私の十字架はごつごつヒノキ?
少女は丘の頂上に眠る男の死骸にへしゃげた耳を発見した。彼女は醜悪な耳は嫌いだったけれど選り好みは出来ない。とにかく耳をもって行かなければならない。それに、この丘の先の死骸の耳は危険すぎる。彼女は祖父から、死骸以外は触っちゃいけないとキツく言われたのだ。その先の死骸は地面にべったり張り付いていた。なんでも地面には踏んだら爆発する石みたいなのがあるらしい。少女は些か好奇心があったけれど、その平べったい石を踏んで義足になったという彼女の祖父を想起して抑えていた。
少女はナイフを取り出して、その餃子みたいな耳を切り取った。もちろん少女は餃子を知らない。けれど、ああ二ヶ月前の緑とか茶色とか、とにかくごちゃごちゃした色合いの服をきた男の人の耳みたいだ、って少女の想起と同じような描写をしたところで、受け入れてくれる人はいないだろう?
餃子を籠にいれて、少女は片足だけを反対側の斜面にのりだした。背中ほどではないがそこにも幾つかの瘡があった。その先の汚れたスニーカーの下に少し緑色にはなっているが綺麗な形をした耳があった。女の人の耳?珍しい。少女はずりずりとその死骸に近づいて耳を削いだ。黄褐色の飛沫がスカートに飛散したが、籠にはついていない。大丈夫だった。だが、耳を外そうとした時にその耳に食いつく白色の肉塊があった。それは醜く膨れあがった蛆だった。蛆はただをこねるこどもみたいに耳を離そうとしなかった。少女は口許に若干笑みを含みながらしょうがないなぁ、と蛆を跳ね飛ばした。少女は置いてきた妹のことを思い出した。妹は彼女の母に抱かれて、言葉にならない言葉を泣き叫んでいた。少女は赤ちゃんという概念が分からなかった。 バランスボールみたいに跳ねた彼の行方を知るものはいない。彼が蛾になる希望はとっくに地面に零落していた。あるいは、、蛆は蛾になるのだろうか?
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