ミステリ要素

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ミステリ要素

ツクル段になって、僕が取り組むキッカケになったのが、歴代探偵モノ金田一耕助だった。 横溝正史ミステリ大賞が創り出した金字塔をどうやって打ち崩すか?算段を練っていた。テレビはその期待値が先行して、僕はどうやっても、その作風を自分で作り出す事はムリだと痛感した。 学園モノとして、作り出す場合、僕としては登場人物の相関図から、まず頓挫した。 とてもじゃないが、自分に今のトレンドを踏襲するなんて、大それた真似はマークスの山を書いた大作家に対して、負けを喫している。 それは勝てない試合だし、この場合、僕は土台金田一を超えられないと、勝てない戦をしている事になる。 そもそも、ミステリに対して、僕が拘りがあったわけではない。 流行りに過ぎないかもしれない。 現実問題と密接に絡んでいる作風がこの僕が目に留まる条件だった。 人の心に刺さるドラマが、僕の創作意欲を鼓舞する必須条件だ。 現実に起きた事件、ニュースに自然と作家である性分が、それをする事を辞められない。 作家は、霊能に劣る。 作家は、プロファイリングに負ける。 作家は、想像と妄想の境目に立ち、常に理性を孤立している。 立ち位置が常に、目線が下を向き、相手を見下ろす格好になってしまう。 日常で良く、揉め事が起きやすいのは、否めない。 作家である事と仕事を両立する事は、かの芥川賞を樹立した怪物、宇佐見りんでさえ、それは、至難の業で、作家としてようやく陽の目を見て、ようやく、仕事と両立して作家活動をしてきた、彼女は安堵した。 受賞インタビューで、そう語り、尾崎豊が影響受けた作家、中上健二に多大な尊敬を寄せていると聞くや否や、私は目で追いかける様に彼女の動向を隈なく、しらみ潰しに探し、チェックに余念がない。文學界アカウントにフォローされており、その重鎮の一人である、阿部和重は、地元石川県で、目にしており、密接に文學界に対する傾倒は大きい。 哲学者では、ヴィトゲンシュタインに、感銘を受けており、彼の樹立した思想体系、言語ゲームは、難解であり、理解に苦しむ面が、凡人には多分に見受ける。馬鹿にするつもりもないし、私自身それを、理論的に理解したのみで、本懐を理解し、体得したわけではないが、彼の生き様に憧れて、彼のやりたかった事が、無意識の内に、現代的近代人の思想、恐らく音楽家では、発達障害でもある、米津玄師の言葉の多重的意味合いが濃厚な文学的センスの絶妙な舌触りが、それに最も酷似している。個人的な意見ですが、彼ヴィトゲンシュタインが、壮絶な最後に終止符を打ったが、その壮絶さよりも、彼の人生で歩んだ軌跡が、我の心を鼓舞するのは、精神的に、そう言うSystemに組み込まれた、無意識領域であり、一種AI化された私の、他人の思惑には、惑わされない、独立した自我は、既にもう、私自身が機械化した、初音ミクの様な無感覚な感情論に、人間としては、普段の営みに於いては、感情は吐き出して居るし、人間として生きる事に価値を見出して居る。それは忘れないように気をつけ、隣立つ隣人に向けた愛は惜しみ無い。 人間辞めますか?そんな薬物依存喚起の、広告が、当時あった。 それは、恐れて居る。 人である事を、忘れてしまったらもはや、人間社会では、存在は抹殺される。 怖しい事だ。 因みに、金田一のドラマが、放送見送りになって居るが、センシティブな為か、それは、そうだろうが、親が録画したものを見ようとすると、毛嫌いされる程、ホラー要素が強く、単純に目の毒だ。 シリアルキラー、並びにサイコパスは、ミステリでは、エンタメの要素が有るが、隣人がそうであった場合、私は警察に相談する。 ドラマだから、観られるのだ。 現実に、幼女誘拐事件は、子供がまだ居ない我々にとっては、幸いした。 居たら、私はその事件を敵視していた筈だ。 人が物事に向き合う理由というのは、案外、日常に潜む、些細な物事の中に脅威が潜んでおり、それが発端になり、こういう創作物が生まれる辺り、余程、世界情勢や、新聞、時事問題に、問題意識を抱く、オカシイなと言う、違和感から、それは、冴えてくる敏感な、鋭い感が人一倍強い、優れた特化した人間にしか、わからない、見つけられず、そう言う人間と間近に接していたが、一目置いて居る。
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