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花の香に、噎せそうだ。
この匂いは、嫌いだ。
几帳の陰、単を1枚被っただけの格好で床に突っ伏し、ぼんやりと思う。
本来なら人々を喜ばせる、良質な香りのはずだった。
夏が始まりだす頃の地面から立ち昇る蒸気に、重みを与えているとさえ思える、濃厚な香り。
そのくせ、まるで自分は主張を持たないとでも言いたげな名の花----梔子。
この忌まわしい屋敷には、囲むようにして多くが植えられていた。
あたかも、その強い香りで、結界を張ってでもいるかのようだ。
この屋敷の季節はずっと変わらない。主の術がきいているのだ。
そのせいで、どこもかしこも、この花の匂いが染みついてしまっている。
だから、いつしか自分にとっては、この屋敷を象徴する匂いになってしまった。
大嫌いな、自分にとって牢獄に等しい、この場所を。
そしてなにより、あいつの身体に、その匂いは染みついていた。
だからこの匂いを嗅ぐと、真っ先にあいつの体臭を思い出してしまう。
----ああ、吐き気がする。
唐綾の表着は、離れた床に打ち捨てられたままでくしゃりと潰れたように伸びている。
まるで、醜い虫が脱ぎ捨てた殻のようだ。
薄ぼやけた月の光さえまともに射さないそこにあると、平安京の高貴な女達をうっとりとさせた鮮やかさなど見えもしない。
いや、あいつが贈り物として持って帰ってきたときから、その布はとっくに汚れていたに違いない。
たとえ目には見えなくとも、誰かの血で染まった戦利品なのだから。
はちす葉、とあいつが己の名を呼ぶ声が聞こえる。
----引き返してくるつもりか。
また肉体を蹂躙される予兆に、肌がぷつぷつと粟立つ。
しかしもとより、逃げ場などどこにもない。
----今に見ていろ。
----必ず、あれを見つけてやるから。そうすれば、あいつなど……。
----あいつなど、すぐに、刀の錆としてくれる。
そうやってひたすら心の奥に火をくべ続けるしか、今は術はない。
花の香に混じる、あいつの汗の匂いが強くなった。
夜は長い。
だがそれも、耐えてみせる。
そう強く誓った------
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