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買い物を終えて、一真に連れてこられた『パスタの美味い店』というのはとんでもない店だった。
渋谷のビルの高層階にある高級ホテル内にあるイタリアンの店だ。この店の炭酸水1ボトルだけで、この前ヒカルと映画館の帰りに行ったファミレスの二人分の食事代とほぼ同額。
弦が躊躇すると「俺の奢り。遅刻した分の埋め合わせね」と一真に微笑まれ、予約もしてあるらしく、なんとなく流れで店に入ることになってしまった。
「ごめん一真。こんな高い店……」
「大丈夫。俺には親父のカードがあるから」
一真はチラッとゴールドに輝くカードを見せてきた。「別に脛かじりじゃない。だって俺まだ学生だし」と笑っている。
「帰りは未延を呼ぶよ。弦の家まで送らせる。だから俺、ワイン飲んでいい?」
一真は弱冠二十歳にしてこういう店に慣れているらしい。弦の要望を聞きつつスマートに注文してみせた。
「一真はいつもこんな店ばっかり行くのか?」
「そうだよ。どうせなら美味しいもの食べたいし、家のシェフより劣る料理なら家で食べたほうがいいし」
家にシェフ……。運転手もいる家だ。あの家には専属のシェフもいるだろう。
「子供の頃から『一流のものに触れろ』って言われて育ってきたから」
「一流?」
「家庭教師もそれぞれの分野で一流の家庭教師がついた。身につけるものも一流のもの、食べるものも一流の店にしか行かない。うちはそういう家訓の家なんだ」
「すごいな! だから一真やヒカルみたいに一流の人間に育つのか」
幼少期から最高の教育を受けて、常に良いものを与えられたからこそ、一真やヒカルは抜きん出た能力の持ち主なのだろう。
「能力としては、ね。でも人間一番大切なものは内面でしょ? 優しさっていうか、相手を思いやれる気持ち? そういうのはヒカルには無いよ」
ヒカルには無い。その一真の言葉に違和感を覚える。
「弦はヒカルと正反対。弦は優しくて可愛くて、俺は大好きだ。弦と一緒にいると幸せな気持ちになる」
さっきまでの一真はかなりくだけた雰囲気だったのに、急に真面目な顔になった。いつも笑っている一真の真剣な眼差しにドキッとする。
「弦。ヒカルと別れて俺と付き合わない?」
えっ……。
何を言ってるんだ、一真は。
「俺じゃダメ? ヒカルはどうせ弦を困らせてばっかりだろ? 俺ならあんなことしない。俺、ヒカルよりも弦を幸せにする自信あるよ」
一真から告白されるのはこれで二回目だ。でも一度目のときは弦は誰とも付き合ってはいなかったし、一真はヒカルの想いを知らなかった。
だが今は違う。一真は弦が弟の恋人だとはっきりわかっていて、それでも気持ちをぶつけてきたのだ。
「……一真はヒカルのこと、嫌いなのか?」
「えっ? ヒカル?」
「ヒカルは一真の弟だろ? 一真は弟のことが嫌いなの?」
一真は黙った。
やや考え込んで、一真は口を開く。
「昔から俺は何をやってもヒカルに負けてきた。二歳下の弟に負けるんだ。兄としては屈辱的だよ?」
「ヒカルは別格だよ」
あのヒカルと比べられたらたまったものじゃないだろう。ヒカルは何をやらせても最強だ。
「だろ? あいつに勝てるわけがない。ヒカルはバケモノだ。だから俺はやめたの。俺は俺、ヒカルはヒカル。優秀な弟がいて幸せだって思うことにした」
「だよな? 一真はヒカルを嫌いじゃない、よな……?」
弦の昔の記憶を辿っても、一真はヒカルに敵意を向けていなかったはずだ。
「嫌いじゃないよ。でも、男には譲れないものってあるだろ?」
一真の目は本気だ。こんな真に迫る一真を見たことがない。
「ヒカルに恨みはない。でも、俺はどうしても弦が欲しい。その気持ちが勝っただけ。ヒカルが欲しいなら他のものはみんな譲ってやるよ、でも弦だけは嫌だ」
「一真、俺は——」
「それを決めるのは弦だ。はっきり言って俺はしつこいよ。今日振られても諦めない。これはヒカルと争ってるわけじゃないよ。ただ俺が弦を好きなだけ。その気持ちを諦められないだけ」
なんでこんなことになってしまったのだろう。一真はワインを飲んで気が触れたのか?!
「あの、俺はヒカルと、その……」
「知ってるよ。だからもし俺と付き合ってもいいって思ってくれるなら、ヒカルと別れて。まさか俺たち兄弟を二股かけるのは無理だろ?」
ヒカルと一真を二人とも恋人にする?!
土曜日はヒカルとデート、日曜日は一真とデートみたいな感じになるのだろうか。
家に遊びに行ったらどうなる?! ヒカルとイチャイチャしたあと、一真ともイチャイチャするのか?! いずれ身体の関係にまでなったら?! 二人に抱かれることになったら——。
そんなの無理だ!
「一真、俺にはヒカルがいるから——」
「大丈夫。今すぐなんて言わないよ。いつかの話。弦がヒカルと別れてくれる日を待ってるよ」
一真は笑顔を向けてきた。それはいつもどおりに見える、爽やかな笑顔だった。
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