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そばにいて
弦は渋谷の街の大型ビジョンを眺めていた。
ざっと見渡せる範囲に六つのビジョンがあり、それらがすべてシンクロして同時放映で同じCMが流れている。
そこに映っているのはヒカルだ。
ヒカルの家の会社の新商品CM。
CMの中のヒカルは、新商品のカメラを構えている。やがてカメラを下ろしたときにヒカルのあの完璧な顔が露わになる。
ヒカルは溜め息が出るくらいの完璧な美しさだ。
真っ直ぐにこちらを見つめているヒカル。「この世界の一瞬を君と」と、テロップが現れ、ヒカルが少しだけ頬を緩め、優しい顔になる。
その微笑んだ顔がめちゃくちゃかっこいい。
周囲からも「かっこいい!」「これ誰?!」と声が聞こえてくる。
「やばくない?! あんな美形がこの世界のどこかにいるの?!」
「あの子知ってる! この春からT大に通ってるんだって!」
「あんな頭小さいのに、めっちゃ頭いいの?!」
弦もそのとおりだと思う。ヒカルほどの逸材はいない。
世間には公表されていないが、ヒカルがこのCMをしている会社の社長の息子だと知れたらもっと話題になるのだろう。いい意味でも悪い意味でも。
ヒカルと別れてから一ヶ月が過ぎた。ヒカルが恋人だったなんて夢みたいな話だ。
短い間でも、ヒカルと仲良くできて楽しかった。
今になって振り返れば、ヒカルと勉強したり、部屋でのんびり過ごしたり、時々は二人で出かけてみたり、どれもいい思い出だ。
別れ際になるといつもヒカルは「さみしい」と弦にひっついてきた。あのときのヒカルの切なそうな顔が今も忘れられない。
ヒカルとキスもした。それも何回も。
ヒカルは事あるごとにキスを仕掛けてきた。弦が恥ずかしいと嫌がっても半ば強引にキスをしてきたことを思い出した。
ヒカルはいつだって努めて愛情表現をしてくれていた。少しずつだが、厳重に閉ざされていたヒカルの心の奥底を垣間見ることができるようになってきたところだったのに。
——あれが、嫌々かぁ……。
ヒカルはモデルの仕事は好きじゃない、嫌々やっていると言っていたが、出来上がった作品を見ればヒカルはプロみたいだ。引き受けた以上は、きちんと仕事をこなしているのだろう。ヒカルは表面上を取り繕うのは得意だろうから。
「弦」
不意に名前を呼ばれて振り返ると、笑顔の一真がひらひらと弦に向けて手を振っている。
「ヒカルのCM観にきたの?」
「うん」
一真は弦のすぐ隣に並んで、大型ビジョンを見上げた。
「ヒカルすごいよね。我が弟ながら末恐ろしいよ。俺が後継者だけど、いつ下剋上されるかわからないな」
「ヒカルはそんなことしないよ」
ヒカルには人を攻撃するつもりはないと思う。ただ言い方や態度が悪いからいつも誤解されるだけだ。
「一真もヒカルのCM観に来たのか?」
「ううん。俺は弦に会いに来た」
「えっ?」
一真はどうして弦がヒカルのCMをわざわざ観に来たことがわかったのだろう。
「だって弦が俺に会いに来ないんだもん」
「何の話……?」
何か一真と会わなきゃいけない理由があっただろうか。
「ヒカルから聞いた。あいつ、弦に振られたってわざわざ俺に言いにきた。俺に負けたみたいな顔しててさ、初めて見たよ、ヒカルのそんな顔」
幼い頃からすべてにおいてヒカルが上だったと聞いた。ヒカルが一真に負けることなどなかったのだろう。
「それで俺は有頂天になって、弦からの連絡を待ってた。でもいつまで経っても来ないから、俺から弦に会いに行くことにした」
すぐ横にいる一真を見ると、一真も弦を見て、爽やかな笑顔を向けてきた。
「なんで俺がここにいるってわかったんだ?」
何か用があるなら普通に連絡をくれればいいのにと、弦は首をかしげる。
「え? 一種の賭け、かな……」
「賭け?」
「そう。弦がここにいるかいないか、俺は賭けてみた」
一真は変な賭けをするんだなと思った。それになんの意味があるんだろう。
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