全部忘れてやる!

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 そして文化祭当日を迎えた。弦のクラスは演劇をすることになっており、自分達のクラスの出番でなければ他のクラスを見て回ることができる。大道具班は教室の後ろ側で最終チェックをしていた。これが終われば少しの自由時間だ。    あれからヒカルは結局、大道具ができあがるまで毎日手伝いにきた。その間にヒカルはかなり忙しくなったのにも関わらずだ。  脚本係だったはずのヒカルに「やっぱりヒカルに舞台に上がってほしい」というクラスの枠を飛び越えて学校中からの声が上がった。そのためヒカルは急遽王子役で配役が決まり、完成させた脚本を突然書き直しさせられるというとんでもない目に遭ったのに、それをいとも簡単にこなしてみせた。脚本は一晩で作りかえてきたし、セリフは完璧。演技も王子役はヒカルのハマり役なので文句のつけようがないくらいの王子っぷりだ。  リハーサルで村娘に対して「ずっと君を探していた。また君に会えて嬉しいよ」「会えないときも毎日君のことを考えていたんだ」「魔王の生け贄になんかさせない。僕が君を守ってみせる。だからお願いだ、僕のそばにいてほしい。僕と結婚してくれないか」といった激甘なセリフを王子役のヒカルが口にするたびにキャーキャー悲鳴が飛んできた。この様子を見ると確かにヒカルが舞台に上がったほうが劇は盛り上がりそうだ。  ヒカルがあれだけの演技ができるとは知らなかった。知っていたらあの日のヒカルの言動は全て弦をからかうための演技だったと気づけたかもしれない。  いや、やっぱり無理だったと即座に思い直す。演技とわかっていても舞台上にいるヒカルのことをかっこいいと思ってしまっている。  ——ダメだダメだダメだ。  油断するとまたヒカルのことばかり考えている。弦はかぶりを振った。  あれは全て偽物。ヒカルのことなんて大嫌いだ、早く忘れたいと思っているのになんで……。 「弦っ!」  教室の入り口付近で作業をしていると、不意に背中をぽんと叩かれた。  振り返ると一真だった。「久しぶり」と言い、ひらひら小さく手を振っている。  すらっと伸びた長い手足に、整った顔面。そのつくりはどこかヒカルに似ているが、一真のほうが目がくりっとしていて優しい印象だ。  あまり感情を顔に出さないヒカルとは対称的に、一真はすごく表情豊かで、今もにっこりと笑顔満面。ヒカルが月なら一真は太陽みたいに明るいイケメンだ。とても兄弟とは思えない。 「か、一真?!」  一真に会うのは久しぶりだ。一真は文化祭や体育祭など、この高校のイベントには必ず足を運んでおり、ヒカルに会いにきたついでにいつも弦にも声をかけてくれる。  一真に呼ばれて弦は廊下に出て二人で話をする。今日は文化祭だからいつもよりも人が多いし、学校中が賑やかだ。 「弦。あれ? また少し背が伸びた?」 「何言ってんだよ、もうさすがに伸びないよ」  一真は弦より二つ年上だが、おおらかな性格のようで「敬語なんて使わないで、昔馴染みの友達なんだから」と弦に気遣いさせることをしない。だから弦も遠慮なく普通の友達のように一真に接している。 「そっか。弦ももう高三になったんだもんな」  一真と初めて会ったのは弦が十一歳の頃だ。ヒカルと初めて出会った日に、一真とも知り合って、あれからもう七年も経ったのか。  ヒカルにはおいそれと話しかけられない雰囲気があるのに、ヒカルの兄であり同じ御曹司でいるはずの一真はまったくそんなことはない。一真自身が人懐っこい性格で弦にも屈託もなく話しかけてくれるからだろう。 「ヒカルに会いに来たんだろ? えっとヒカルは——」  教室を覗くと、演劇の最終打ち合わせをしているようであと少しかかりそうだ。 「いいんだよヒカルなんて。どうせ忙しいんだろ。それより弦は? 今日は時間ある?」 「え? 俺? 俺はもうすぐ暇になるけど……」 「本当? じゃあここで待ってる。俺を案内してよ、一緒に見て回らないか?」  そうか。確かにヒカルには時間がない。そうなると一真にとってこの学校での知り合いは弦しかいないのだろう。 「いいよ、案内する」 「うわぁ! ありがとう! すごく嬉しいよ!」  大袈裟なほど喜びを表してくれる一真。ヒカルと違って人がいいんだな。  それから一真と一緒にあちこち見て回る。一真は「すごいなぁ」とか「これ美味しいね!」とか、なんでも素直に喜べるタイプのようで、子どもみたいにはしゃいでいる。  目当てのお菓子が取れなかった見知らぬ幼い男の子のために、「俺に任せろ。俺が必ずとってやる!」と夢中になって輪投げをして、男の子にお菓子をプレゼントするさまはとても御曹司になんか見えない。 「一真はヒカルと全然違うよな」 「あ、そう? まぁよく言われるよ、ヒカルは完璧だから」  ひととおり回ったあと、二人は階段の隅で少し落ち着くことにした。一真が「少しだけ弦と話がしたい」と言ったからだ。 「ヒカルはなんであんなに冷たいんだろう。一真は優しいのに」  弦がぽつり呟くと、「えっ、俺のこと優しいって思ってくれてるの?」などと一真は冗談混じりでも喜んでいる様子だ。 「まぁ、ヒカルはなんでもできるから、できない奴の気持ちなんてわかんないじゃないの? 俺とヒカルの違うとこはそこかなぁ、なんて思うけど」 「何言ってんだ、一真だってヒカルと同じくらい優秀じゃないか。頭のいい大学に通ってるし、なんでもできる。周りから褒められてばっかりだろ」  一真だってすごい。この兄弟は家柄もいいくせに二人とも優秀で、その上見た目までいい。 「そうでもないんだけどね……」  一真は何か言いたげだったが、「あっ! そうそうっ」と急に話を変えた。 「弦はさ、今付き合ってる人とかいるの?」 「えっ!」  急にそんなこと聞いてくるのか?! 「誰か気になる人がいるとか……? そ、そのへんどうなんだろうとか思って……」 「いるわけないっ、いるわけないだろっ」  動揺のあまりに二回も繰り返してしまった。一瞬ヒカルのことを考えてしまったが、ヒカルとはもうなんでもないし、それもヒカルにからかわれていただけという最悪の結末だった。 「今、付き合ってる人はいないんだ。そっか。安心した」 「なんだよっ、安心したって」 「俺と同じなんだなってことだよ」 「いや一真はモテるだろ?!」  こっちは恋人が欲しくてもできないだけ。一真は望めばいくらでも相手がいるじゃないか。 「でも恋人はいない。だから弦も俺も一緒だね」  一真はにっこり微笑んだ。  まったく。お互い恋人がいないことの何が嬉しいんだよ。寂しいだけじゃないか。  そして最後に教室まで一真に見送られ、一真はクラスにいたヒカルと少しだけ話をして帰って行った。 「ねぇ、葛葉くん、どうしたんだろう……」  上原さんに言われて「さぁ」と弦は一緒に首をかしげる。  一真と話したあとのヒカルは、珍しくイライラしている様子だった。クラスメイトのちょっとのミスを「真面目にやれよ」と厳しく叱責する。いつもなら何も言わずに一瞥するくらいのものなのに。  一真のせいなのか? でもあの一真がヒカルにひどいことを言うとは思えない。 「葛葉くんでも、本番前はやっぱピリピリするんだね」 「そうみたいだな……」  ヒカルの気持ちなんてまるでわからない。  それでも本番はクラスの演劇は大成功。村娘役の女子がアクシデントで衣装を引っ掛け転びそうになったところを王子役のヒカルが咄嗟に抱き寄せたものだから、リハーサル以上の歓声が湧き起こった。  後夜祭の帰りに弦は暗がりで女子とふたりきりで話をしているヒカルを見かけた。ヒカルが誰かに呼び出されて告白されている姿は日常茶飯事だ。 「恋人にしてなんて高望みなことは言いません。付き合ってくれなくてもいいから、高校最後の思い出に私のことをぎゅっとしてくださいっ! ヒカルくんに一度だけでもいいから抱き締めてもらいたいんですっ!」  女子は涙目でヒカルに懇願している。なんて健気なんだろう。 「嫌だ。触りたくもない」  ヒカルはそんなささやかな願いまで冷たい言葉で一蹴する。 「そうですよね……。ごめんなさい……」  ついに泣き出してしまった女子を「じゃあな」と振り返りもせずにヒカルはその場を立ち去っていく。  ——なんなんだよあいつ。俺をからかって抱き締める暇があるなら、あの子を抱き締めてやればいいのに。    ◆◆◆  文化祭が終わり、ざわざわしていた学校の雰囲気が時間を経て、すっかりもとに戻ってきた頃だった。 「うわっ、学校の前にすげぇ車止まってんな」 「あれ、ヒカルんちの車じゃねぇ?」  クラスメイトが教室の窓から外を覗きながら驚嘆の声をあげている。  つられて弦も外を見る。校門の近くにメルセデス・マイバッハ プルマンが停車している。金持ち御用達の車だ。  一般庶民には全く関係ない車なので、ヒカルを迎えに来たのだろう。でもいつもヒカルは普通の生徒に混ざって電車で通学しているので迎えが来るなんて珍しいことだ。 「おい、ヒカル。お前今日迎え来てんぞ」  遥樹(はるき)がヒカルに声をかけている。遥樹も奏多と同じくヒカルの取り巻きのうちのひとりだ。  その横を弦はさっさと通り過ぎる。ヒカルがこちらを振り向かないうちに。ヒカルと目を合わせたくない。というよりヒカルの目の前から自分の存在を消したいくらいだ。  教室を出て、昇降口を抜け、校門の前にいるマイバッハの前を足早に通り過ぎようとした時だ。 「弦」  声をかけられ、弦は振り向いた。 「今日は弦を迎えに来たんだ。乗って」  振り向いた先に立っていたのは、一真だった。一真に会うのは文化祭以来だ。  一真は弦を見て眩しいくらいの笑顔をみせている。 「一真? どうしたの? 迎えに来たって、一体なんのことだ?」  弦は一真と約束をしたことなど何もない。 「ごめん、急に学校に押しかけて。理由は車の中で話すよ。とにかく乗って」  一真が乗れというのは、このゴツい高級車のことなのか?!  ということは、この車はヒカルを迎えに来たんじゃなくて、弦を迎えに来たということなのか。  弦が躊躇っていると、一真は手を引いてきた。そのまま一真に引っ張られる形で車に乗り込む。  そして執事が車の扉を閉め、車は発進した。 「弦、俺さ。実は今日、誕生日なんだよ」  車の中で、一真は嬉々として弦に話しかけてきた。 「そうなのか? おめでとう。えっと俺よりも二つ上だったよな……? ということは二十歳になったのか?」 「そうそうっ、それでさ、今朝、親父から『お前を会社の後継者にしたい』って言われたんだ。もともと俺が二十歳になるときに、俺が後継者に相応しいかどうか判断するって言われててさ、俺、親父に認められたんだよ」  一真は嬉しそうだ。息子として父親に能力を認めてもらえたら、後継者はお前だと言われたら素直に嬉しいだろう。 「よかったな」 「ありがと、弦。お前にそう言われると嬉しいよ。弦はヒカルの味方かな、なんてちょっと思ってたから」  ヒカルの名前を聞いただけでドキッとした。  でもそうか。長男の一真が後継者になるなら、次男のヒカルは後継者争いに敗北したことになるのか……? 「今からプレッシャーだよ。やっぱり後継者はヒカルがよかったんじゃないかって言われないように頑張らなくちゃな!」  にっこりと明るい笑顔を向けてくる。この爽やかな感じこそ、一真の長所だろう。 「あ、あの、一真が後継者に選ばれたことって、ヒカルは知ってるの……?」 「え? ああ。もちろん。でもまだ口外はしてない。知ってるのは家族とか本当に身近な人だけだよ。あ、この車を運転してる俺の執事兼秘書の未延(みのべ)も知ってるよ」  ヒカルはわかっていたのか……。今朝知ったのかもしれないが、学校では落ち込んだ様子も変わったところも微塵も見せなかった。さすがヒカルだ。 「そんな秘密、俺なんかに話してよかったのかよ……」  弦は身内でも近しい人物でもない。一真は口が軽すぎないか? 「もちろん。俺は弦に一番に伝えたかった」  一真は弦を真っ直ぐに見つめてきた。 「俺、もし後継者になれたら、弦を迎えに行きたいとずっと思ってた。俺、弦のことが好きなんだ。弦。俺と付き合ってくれないか?」  え……?  弦は頭が真っ白になった。  なにが、起きてるんだ……?  まさか、一真が、俺のことを?! 「な、なんで俺なんか……」 「ずっとなんだ。初めて会ったあの日の夜からずっと弦のことが好きだ」 「う、嘘だろ?」  一真と出会ってあれから七年経過している。その間ずっと想っていただなんて話ありえないだろ。 「ごめん嘘じゃない。ずっと気になってて、でも会えなくて、そんな時に弦とヒカルが同じ高校に入ったことを知ったんだ。だからヒカルに会いに行くふりをして、文化祭や体育祭にも顔を出してたんだ。弦に会いたいから」  てっきりヒカルに会いに来てたのかと思ってたのに……。 「弦。何度でも言ってやる。俺は弦のことが好きだ。俺の恋人になって欲しい」   信じられない——。  そんなことあるはずがない。 「からかうのはよせっ」 「からかってないよ。本気だ」 「絶対に信じない。二人して俺を騙して楽しいのか?!」  一真はヒカルとは違うと思っていたのに、やっぱり似たもの兄弟だったんだな! 「え? 二人してって、弦、どういうこと?」  訊ねられて、弦は覚悟を決める。どうせ一真も同じ穴のムジナだろう。全部洗いざらいヒカルの悪行を一真に話してやる!
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