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夜になり、やっとヒカルが帰宅した。
ヒカルは広いリビングのソファーに座っていた弦と一真に目もくれずに階段を上がっていってしまった。どうやらそのまま自室に向かったようだ。
弦はヒカルを追いかける。そしてヒカルの部屋のドアをノックした。
反応はない。
「ヒカル。開けて」
弦はもう一度ドアを叩く。
「ヒカルっ。俺と話をしようっ。俺ヒカルに言わなくちゃいけないことがあるのを思い出したんだ。だから、聞いて……」
今さらかもしれない。さよならしたくせにと思われてるかもしれない。ヒカルは月並みな愛の言葉なんて言われすぎて聞き飽きてるかもしれないけれど。
「ヒカル。ありがとう。俺、きっとヒカルにたくさん助けられた」
ドアの向こう側で、ヒカルは聞いてくれているのだろうか。弦の声は届いていないかもしれない。
「ヒカル。好きだよ。それだけ言いたくて……どうせヒカルなら毎日のように誰かに言われてるんだろうけどさ……」
弦がヒカルに好意を寄せても、つまらないヒカル親衛隊がまたひとり増えただけにすぎない。ヒカルならわざわざ弦を選ばなくてもいくらでもいい人と付き合える。
でも弦も想いを口にしてみて、ヒカルを避けていたけど、ヒカルに出会えてよかったと思えるようになった。……まぁ、目の前の相手はヒカルの部屋のドアだけど。
「聞いてくれてありがとう。ヒカル」
〜の部屋のドア。と心の中で情けない言葉が続く。
みんながどうして玉砕必至でヒカルに告白するのかがわかった。膨れ上がった想いを吐き出さないと、心がいっぱいになってしまい、他に何も手につかなくなるからだろう。そして吐き出してみて、胸のモヤモヤが晴れたみたいでとてもスッキリした。
最後にヒカルの部屋のドアに寄りかかってみる。ヒカル本人は尊すぎるから、もはやドアでいい。
ドアの温もりを堪能しようとしていたら、急にドアが内側に開いた。その勢いで、弦はヒカルの部屋にドッと倒れ込む。
「何してんだよ、さっきから」
ヒカルの声だ。弦は急いで体勢を整え、ヒカルを見上げた。
「あんな大事なこと、俺を見て言ってくれよ……」
ヒカルは弦に手を差し伸べてきた。ヒカルの手を頼って弦は立ち上がる。
ヒカルは部屋のドアを閉め、弦に向き直る。
「弦。俺のこと『好き』なの? 今でも……?」
ヒカルの目は潤んでないか……?
嘘だろ。いつもの冷徹なツラはどこにいったんだよ。
「俺。お前にひどいことしたんだぜ? なのになんで『ありがとう』なんだよ……」
よかった。ドア越しの弦の言葉はヒカルに届いていたみたいだ。
「いいんだよ、ありがとうで。ヒカルはいつも俺を守ってくれたから。ヒカルにからかわれたんだって知ったときはショックだったけど、他の人たちはヒカルにからかっても貰えないんだからな。俺、最初からヒカルに本気で好きになってもらえるなんて思ってなかったんだ。それでもいいや、嘘でもいいやって思ってヒカルと一緒にいたんだから。でもさ、俺、ちょっとだけわからないんだ……」
まさかとは思ってる。
そんな奇跡、ありえないと思ってはいるのだが、ヒカルに訊きたい。
「ヒカル」
ヒカルの本当を見抜きたくて、ヒカルの目をじっと見て訊ねる。
「お前が俺にしたこと、全部俺をからかってたとは思えない。どれが本当で、どれが嘘だったの……?」
弦の問いに、ヒカルは一瞬戸惑っているようにもみえた。だが、ヒカルはすぐに何か心に決めたように弦に微笑みかけてきた。図書室で弦に笑顔を見せてくれていたときのように。
「全部だよ。お前にしたこと全部本当。最初からお前をからかってなんかいない。からかってるって奏多に言ったのが、俺がついた嘘」
ヒカルの目は涙をたたえながらも優しい。今のヒカルの言うことは多分、本当だ。
ヒカルが弦にしたこと全部本当だとしたら。
ヒカルの弦に対する優しさと愛情は本物で、まさかヒカルは——。
「弦。本当のことを言う。信じて欲しいけど、聞いてくれるだけでもいい、ただ俺が言いたいだけだから」
いや、信じるよ、ヒカル。今のヒカルの言葉だったら全部信じてみたい。
「俺は弦が好き。多分、ずっと前から。気がついたら好きになってた。俺のものにして、離したくないくらいに」
何もされなくてもひと目惚れしてしまうくらいの男に、本物の愛の言葉を言われると、目眩がしそうだ。
「弦、ずっと俺のそばにいてよ。お前が俺の前からいなくなって、よくわかった。くだらないプライドも、完璧さも要らない。そんなものよりお前が欲しい。弦がいてくれたら、それだけで俺はすごく幸せみたいなんだ」
こんな俺といて、ヒカルは幸せだって思ってくれるのか……?
「でも、もう遅い? 弦はもう兄貴のものになっちゃったの? 一真に告白されてお前はなんて答えたんだ?」
ヒカルはすごい。なんで俺が一真に告白されたことを知ってるんだよ。
ていうか、俺と一真の仲を気にしてるのか……? あのヒカルが?!
あれから一真の部屋でふたりきりで話をした。「告白の返事を聞かせて欲しい」と真っ直ぐな目で見つめられた。
一真に想われているとは、弦はまったく知らなかった。
今まで一真のことをそういう目で見たことはなかったし、弦の中では一真はヒカルの兄で、年上の友達、という認識しかなかった。
「一真とは付き合えないって断った」
「なんで?!」
ヒカルは目をしばたかせている。まぁ、普通は一真みたいな男に告白されたのに断るなんてありえない。
でも弦には断る理由がある。一真のことは友達だと思っていたし、弦がずっと想いを寄せていたのは——。
「なんでって……決まってるだろ。俺さっきヒカルの部屋のドアに言ったけど」
ちゃんとヒカルにも聞こえていたはずだ。弦が誰のことを好きか。
「なんて言ってた? もっかい言って」
ヒカルはやたら嬉しそうな顔で弦を見つめてくる。
あ、こいつ。憶えてるくせにとぼけて俺にもう一度言わせようとしてるな。
弦がヒカルに不満気な顔をしてみせると、ヒカルは「もう一回だけ。ちゃんと俺に向かって言ってみせてよ」とねだってきた。
いざ、本人を前に言おうと思うと、恥ずかしくなってきた。さっきはドアだったからこそ素直に気持ちを言えたのかもしれない。
「やっぱ無理」
「俺は弦のこと好きだよ。弦は? 俺のこともう無理?」
違う。そんな意味の「無理」じゃなくて……。
「は、恥ずかしくて……」
「俺はもう弦が好きだってこと隠さない。誰を好きになっても恥ずかしくないよな。だって好きになるってそういうものだろ?」
ん? ヒカルは俺を好きになったことを恥だと思ってたのか!?
「おい、ヒカルっ。俺とヒカルはたしかに釣り合わないけど、正直すぎるぞ!」
「ごめん。俺もなんでこんなに弦を好きなのかわかんない。でもすっごい好き。大好きだよ」
そんなに言われたら、ヒカルのことを許すしかないじゃないか。
「俺も……」
すぐ間近にいるヒカルを見る。うわ、かっこいい。これやっぱ「好き」しか出てこない。
だからもう一度伝えよう。
「俺も好き。ヒカルのこと、からかわれてでもいいから一緒にいたいくらいに大好きだよ」
「弦、からかってなんかない。だからもう、嘘じゃなく俺はお前のことが好きなんだって! これ以上俺をいじめるなよ」
「本当に?」
「まだ信じられない?」
「うん。信じられない。ヒカルが俺を好きになってくれるなんてありえない」
そんな幸せなこと、ありえない。一生分の運を使い果たしてしまったんじゃないか。
「信じて」
ヒカルが不意に弦を抱き締めてきた。
ああ。久しぶりの感覚だ。それはとても心地よい。
「夢みたいだよ……ヒカルともう一度こうしていられるなんて」
嬉しい。もうこんなふうにヒカルの胸の中にいられる日は訪れないと思っていたのに。
「夢じゃない。本当。信じてよ」
弦の言葉にムッとしたのか、ヒカルが弦の両肩に手を置きぐっと力をこめてきた。そしてまるで子どもに言い聞かせるかのように弦の目をしっかりとその綺麗な黒い瞳で捉えた。
「好きだ」
ヒカルはさらに迫ってくる。弦の額にコツンと優しく額をぶつけてきた。あまりの顔の距離の近さに思わず弦は目を閉じてしまう。
そのとき、弦の唇に柔らかくてあたたかい何かが触れる。弦にはまったく馴染みのないもの——。
え。今のって……。
もしかしたら、ヒカルの唇……?!
びっくりして目を開けてヒカルを見たら、「ごめん、俺、キスするなんて初めてだからよくわからなくて……」とヒカルは顔を左手で隠しながら照れている。
弦も今のが初めてだったけど、ヒカルもなのか?! お互い、ファーストキスで——。
「弦、もう一度、キスしていい?」
「えっ?!」
いやさっきのだけでもう……。
今度はヒカルは弦の頭を抑え、少し上を向かせてから唇を重ねてきた。
「この方がやりやすい。てかごめん、止まらなくなってきたかも……」
ヒカルは更にキスを重ねてくる。弦はされるがままだ。
し、心臓がバクバクしてきて、気持ちが追いつかない……。
「弦。やっぱお前可愛い」
ヒカルはキスを止め、弦を真摯な目で見つめてきた。
「俺が弦のこと好きって、信じてくれた?」
信じられないくらいの出来事だけど、きっと間違いじゃないんだろう。
「まだ足りない?」
ヒカルは再びキス。すごく官能的なキスだ。もうこなれてきてるなんてヒカルは末恐ろしい。
「も、もうわかったよ。ヒカルのこと信じてる。だから、これ以上は……」
とりあえず、『信じてる』って言わないと、ヒカルはキスをやめてくれないみたいだし、弦はもう羞恥の限界だ。こんな自分に与えてくれる、ヒカルの惜しみない愛情表現に身も心もとろけてしまいそうになる。
なんとかヒカルを抑えなくちゃと弦は信じられないけれど「信じてる」とヒカルに言った。
「信じてくれてありがとう、弦」
ヒカルはもう一度弦にキスをする。
あれ? ヒカルのキスの猛攻から俺はいったいどうしたら逃れられるんだろう——。
◆◆◆
ヒカルが弦を家まで送って帰ってきた後、一真が「後継者の座はヒカルにあげるから代わりに弦を俺に譲れ」と言い、ヒカルが秒で「嫌だ、断る」と言ったのは後日談。
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