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全部忘れてやる!
「あんな奴、好きなわけないじゃん」
「うっわ、マジで?! お前、酷いな」
「あいつ俺が『好きだ』って言ったら真に受けてやんの。今でも自分は俺の恋人だって信じてんじゃねぇかな」
「ウケるな、あいつ身の程知らずだな。あんな平凡な奴がヒカルと付き合えるわけないのにな!」
放課後の教室。ヒカルと奏多の二人の会話を、弦は偶然聞いてしまった。
——やっぱりそうだったんだ!
ヒカルが、弦に告白してくるなんてことあるわけないと思っていた。
ヒカルは全てを持っているような男だ。トップアイドル並の完璧なルックス。財閥の家の次男だが、勉強も運動も得意、度胸、リーダーシップ、決断力に長けており、長男よりも後継ぎとして期待されているらしい。
そのため、ものすごくモテる。恋愛の意味だけでなく、ヒカルのカリスマ性に惹かれてしもべのような奴らまでいる。
さっきヒカルと話していた奏多がヒカルのしもべのうちのひとりだ。ヒカルと同級生なのだが、いつもヒカルに媚びへつらってヒカルの隣にいる。
◆
弦だってバカじゃない。ヒカルに突然呼び出されて、「お前が好きだ。俺と付き合って欲しい」と言われて最初はもちろん疑った。
「冗談だろ」と言ったら「本気だよ」とヒカルに返された。
「わかった! 罰ゲームで誰でもいいから告れって言われたんだな!」と言ったら「俺がそんなくだらないゲームをするような奴に見えるのか」と睨まれた。
「偽物の恋人が欲しいんだろ!」と言ったら「だったら普通女を選ぶだろ。男のお前じゃ、俺と付き合ってることは隠さなきゃ」と鼻で笑われた。
そこまで言われてしまうと、弦にはヒカルの本心がまるでわからない。
ヒカルが本気で弦を好きになるなんて絶対にありえないことだ。
なのに、どうして——。
「弦。俺と付き合ってくれ。俺の恋人になって欲しい」
黒曜石のようにキレイな瞳で見つめられ、この瞳の奥には絶対に嘘が隠されているはずだと思っているのに、抗えなかった。
「こんな俺でいいのなら……」
ヒカルは人間としての格が違いすぎて好きになることすら許されないと思っていた。
それなのにまさかのヒカルの告白に身体が震えてる。
「弦。いいの? 俺のものになってくれるの?」
弦は頷く。ヒカルに魔法をかけられたみたいに。
「弦、お前に触れてもいい?」
ヒカルは弦を抱き締めてきた。その抱擁が普段、全てのものに対して冷ややかな態度のヒカルとは対照的に、温かく人間味にあふれており、弦にとってそのギャップが至高でしかない。
——ヤバい。気持ち良すぎる。
ヒカルの鼓動を感じる。冷徹な人間にも、ちゃんと血は通っているんだなと当たり前のことを思った。
「今日から弦は俺の恋人ね」
耳元で囁かれた。
「だから他の誰かに告白されても断ってよ。弦は俺のものだから」
「うん……」
断るに決まってるじゃないかと弦は頷く。弦は誰かに告白されたことも今日が初めてだし、断るもなにも、そのような事態にはならないだろうと思った。
「いい子だな」
ヒカルは弦の頭を撫でてきた。
「俺たちの関係は内緒にしよう。男同士だなんてお前も絶対にバレたくないだろ? でも俺がお前を呼び出しただけで、騒ぐ奴らがいるんだよな」
学校における、ヒカルの一挙手一投足は生徒たちによって監視されていると言っても過言ではない。それだけヒカルの注目度は高い。
今、二人は理科準備室にいる。だが既に廊下から人の話し声が聞こえてくる。きっとヒカルがなぜ弦を呼び出して二人きりになったのかを噂しているのだろう。
「廊下にいる奴らは、まさか俺が弦と抱き合ってるなんて思ってもないだろうな」
おい、ヒカル! 赤裸々にそういうことを言葉にしないで欲しい。
「ヒカル……」
ヒカルと離れる前に確認しておきたい。
「なに?」
「俺、ヒカルのこと、信じてもいいの?」
少しだけ身体を離し、嘘かどうかを見透かしたくてヒカルの目をじっとみる。
「いいよ」
ヒカルは微笑んだ。
「お前のことは俺が守るから」
ヒカルにそう言われて、不意に弦を襲う既視感。
この台詞——。
たしかに聞き覚えがあった。だが、いつのことだったのか思い出せない。
◆
「ヒカル!!」
弦はヒカルと奏多の前に飛び出した。
弦の登場に、ヒカルと奏多の二人は驚いている。
「今の話、全部聞いた。ヒカルお前、やっぱり俺をからかってたんだな!!」
こんな結末、弦もどこか予想していた。でもこれがやはり真実だったと知ってしまった以上は、もうヒカルのことなど信じられない。
「やっべ。弦、いたんだ。バレちまったみたいだな、ヒカル」
奏多がヒカルの方を見た。
ヒカルは、弦が現れたときこそ、目を見張っていたが、今はもういつも通りの精巧にできた綺麗な人形のような顔に戻っている。
「なんとか言えよ、ヒカル! 言い訳する気にもならないんだな」
弦は黙ったままのヒカルにただひたすらに怒りをぶつける。
「弦は、俺と別れたいってことだよな?」
呟くように言い、ヒカルは弦に視線を向けてきた。いつものことだが、ヒカルの表情からはヒカルの心象が読み取れない。
「当たり前だろ、本気じゃない、からかわれてたって知ってて一緒になんていられるか!」
ヒカルは何を言ってるんだ。好きでもない弦を騙していて、それがバレた今、ヒカルにとっても弦と一緒にいる意味などないだろう。
「じゃあ最後に俺にキスしてよ」
ヒカルのとんでもない発言に、理解ができない。
「なんでお前にそんなこと……」
しかも奏多までいるんだぞ。ヒカルは実はバカなのか? バカと天才は紙一重って言うけど今のヒカルのための言葉みたいだ。
「だって俺、弦と付き合ってからまだお前とキスしてない。それじゃ別れたくないんだよ。キスしてくれたら、望み通り別れてやる」
意味がわからない。
ヒカルは俺をからかっていたんだろ?
だったら、そんな奴からキスなんてされたくないはずだ。
「え?! ヒカル、どした?!」
奏多も驚いている。
「からかってんだよ。弦は俺がこういうこと言うと真っ赤になって可愛いから」
不敵な笑みを浮かべるヒカル。こいつ異常者か?! サディストを通り越してマゾか?!
「どうする? 弦」
ヒカルは余裕だ。なんで悪事がバレたヒカルが余裕で、怒っていたはずの弦が追い詰められているのか理解できない。
ヒカルにからかわれてるとわかっていてキスなんてしたくない。そもそも弦は誰かとキスなんてしたこともない。なのに、こんな奴と……。今、この状況で?!
「嫌だ。誰がそんなことするか!」
「じゃあ俺と別れないってこと?」
「嫌だ。別れる」
「ダメだ」
「お前の許可なんて要らない。さよならヒカル」
これ以上ヒカルに関わりたくない。いくら自分が選ばれた人間だからって、凡人をからかって暇つぶしするなんて最低だ。
弦は廊下をズンズンとひとり歩いていく。
あんな奴、絶対に許さない。
騙された自分も自分だが、やっぱり騙す奴のほうが悪いに決まってる。
——振り返るもんか。
初めてヒカルに抱き締められたときの事を不意に思い出した。
あの抱擁も、嘘だったんだ。あの時、つい幸せだって思っちゃったじゃないか。
——全部忘れてやる!
「付き合ってくれ」「好きだよ」「俺には弦しかいない」などというヒカルの言葉はもう信じない。
——苦しいよ……。
俺は、本気でヒカルのこと好きだったのに。
ずっと。ずっと前から——。
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