3『進展しない二人に』

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****side■黒岩(総括) 「ちゃんと教えてあげたのに。君、何してたの?」  総括黒岩は、わが社の社長呉崎にそう問われ、項垂れた。 ──唯野が離婚することは知っていた。  板井が唯野を慕っているのも知っていた。  だが、唯野の方が板井に夢中だったのは想定外だった。  昼休みに二人が苦情係でキスをしているのを見て、動揺した。  慌ててその場を離れ、社長に出くわしたのである。 「板井君に掻っ攫われるなんてねえ」  唯野修二という男は自分にとって特別だった。営業部時代には、成績の一位、二位を争うような関係であり、同期でもある。  だが、自分が良い成績を収めようと頑張っていたのは、彼の視界に入りたかったからだ。 『なあ、唯野は恋人とかいないのか?』 『いないし、そういうこと聞くのはセクハラだろ』  営業という場所は、周りがみんなライバル。彼と仲良くなるのは違う意味で容易ではなかった。恐らく自分の性格と、彼のガードが堅かったせいだと思われる。  誰にでもニコニコ接する唯野は、その笑顔で他人から自分を守っていた。 『気になるヤツとかいないのかよ』 『お前、しつこいねえ。今はそれどころじゃないだろ? 早く職場に慣れないと』  穏やかで平和を好む彼には、営業という場所はストレスに感じていたかもしれない。それでもその容姿と物腰は営業には向いていた。因果なものだ。  仲良くなったころ、交際を申し込んだら断られた。 『今は、仕事に集中したいから』  それが彼からの答え。  時期を待とうと思った。どうしても諦められなかったから。  それなのに、すぐその後に彼は結婚してしまったのだ。 ──あの時、何があったのか知りたい。  俺にははっきり言うヤツだったからこそ、あれが体のいいふり文句だとは思えない。  社長の嫌味から逃れ、一日業務を淡々とこなした。  定時の鐘がなり、廊下の窓から板井と唯野が連れ添って帰るところを見ていた。金曜の夜だ、一緒にいるに違いない。  板井は奥手な奴だと思っていたが、そうではなかったことに気づく。  唯野が離婚したことを知った途端に行動に移したのだから。  もっとも、自分は唯野が離婚する前にも彼に迫り、 『お前は結婚してるだろ。モラルはないのか?』 と眉を顰められた。  唯野にとって自分は恋愛対象外なのだろうか?  板井は物静かで、大人だなとは思う。自分と比較するならば、性格は正反対と言っても過言ではない。  常識人で、気遣いが巧く、唯野には優しい。  陰では唯野の忠犬などと呼ばれてもいる。そんな部下に慕われ、特別な想いを抱かれていることを知ったら、平常心ではいられないだろうし、意識してしまうに違いない。 ──十七年経っても、相変わらずお前は美人だよ。  帰りの列車の窓から暗くなった街並みを眺めては、ため息をついた。  諦めきれないのは、初めから彼が自分にとって特別だからだ。もっと真面目に迫っていたなら自分にもチャンスはあったのだろうか?  当てつけのように結婚しなければ、振り向いてくれたのだろうか?  列車はゆっくりと目的の駅へたどり着く。ドアが開くのを待ち足をホームへ踏み入れた。残業を終え、自宅の最寄り駅についてみればとうに夜の帳が下りている。  唯野から、 『もう少し、会社の近くに住んだらどうだ?』 と言われたことを思い出す。  家族に彼を会わせたくなかった。  会うような距離にいたくなかった。 ──今頃は板井とお楽しみか?    なんだか悔しくなった黒岩は、ポケットからスマホを取り出すと唯野に電話をかけたのだった。
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