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****side■黒岩(総括)
『修二はあんたに渡さない。諦めてください』
はっきりと板井はそう言った。
「修二……ね」
黒岩はスマホに目を落としたまま、ため息をついた。
後悔しなかったことなんてない。自分は板井のように一途に待つことが出来なかったに過ぎない。
今日は妻も子供も妻の実家に泊まることになっていた。
黒岩は胸ポケットにスマホをしまうと、自宅へ向けて歩き出す。
庭付き一戸建ての自宅へ着くと、ポケットから鍵を取り出しガレージへ向かう。こんな日は一人、家の中にいても落ち着かないだろう。
シャッターをあげ、広いガレージのライトをつけると脇の階段を上り自宅へ。準備をしてすぐに出かけるつもりであった。
──唯野と出かけたのは、いつだったろうか?
もちろん車で出かけたことなどない。今でこそ避けられてもいるが、苦情係が出来るまでは呑みに行ったりもしたものだ。
鞄を部屋に置き、シャワーをしようと脱衣所へ向かう。
ネクタイに指をかけながら、唯野のことを思った。彼の電話に板井が出たのだから、今は一緒にいるはず。
いつからだろう。唯野が板井を特別な目で見るようになったのは。
初めは塩田を気に入っているのだと思っていた。
──塩田とどうこうなるとは、思っていなかった。
皇が塩田を気に入っていたし、唯野はあまり苦情係に居なかったようだから。
浴室へ足を踏み入れ、シャワーのコックを捻る。
熱めの湯を浴び、雑念を払おうとするが頭の中は唯野のことでいっぱいだった。
唯野は妻を裏切るような奴じゃない。そう、思っていたのだ。あの婚姻が不審であっても。唯野とはそういう人物だったから。
真面目で自分を簡単に犠牲にするような、お人よし。
──理想を押し付けていただけなのか?
壁に背を預け目を閉じる。
瞼の奥に浮かび上がるのは、板井に抱かれる唯野の姿だった。
それは自分が欲しかったもの。手に入れるはずだったもの。
──板井のヤツ。
唯野の身体を好きにしているなんて。
分かってはいるのだ。唯野には板井のような奴がお似合いなことくらい。
自分から何かを望んだりしないから、察してくれるような気の利く人間でないと合わないこと。それが自分とは正反対だということも。
それでも、自分は唯野が欲しかったのだ。
黒岩は深いため息をつくと、コックを捻り湯を止めた。鏡に映る自分を見てゲンナリしながら。
「たかが少し、妄想したくらいでこんなになるんて」
己の下半身に目を向け、肩を竦めるとシャワー室を出た。
自身で慰める趣味はない。しかし、唯野の代わりを妻に求める自分が最低なことも分かっていた。
「浮気しているんだろうな、あいつ」
タオルで全身を拭いながら、ふと呟く。
営業時代も総括である今も、忙しくて定時に家に帰ったことなどなかった。
もっとも、早く帰れたとしても唯野を誘い呑みに行っていたような自分だ。愛想を尽かされていたとしても不思議はない。
たまに妻にかかってくる電話相手の中に、彼女の地元の同級生がいることも知っていた。その相手は男性。実家に帰るついでに会っているのだろう。
その旨を妻の母、自分にとっての義母から聞いたことがある。
子供がいる以上、離婚は望ましくはない。気づいていないフリを続けることで、表向きは巧く行っているのだ。
それ以前に、妻の不貞に関心がないほど自分は唯野に夢中だったのである。
「まあ、人のことは言えないしな」
黒岩は着衣を整えると、髪を乾かしリビングへ向かったのだった。
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