6『返り討ちに』

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****side■板井  翌日。  板井は副社長の皇から呼ばれ、社長室にいた。  こんなにあっさり面会できることが意外であった。  思わず、 『社長ってそんなに暇なんですか?』 と聞いてしまったほど。  皇はその質問にぽかんと口を開けたのち、クスリと笑った。 『日に寄るんじゃないかな』  規模や形態、提携などにもよるだろうが、少なくとも我が社の社長はそこまで忙しくはないと彼は言う。 『無駄な会食とかしない人だしね』 『合理主義ってことでしょうか?』 『そうとも言うね』  皇と共に社長室へ通されると社長、呉崎は何故か嬉しそうに笑った。それを見て怪訝そうな顔をする皇。 「まあ、座りなよ」 と呉崎に促され、ソファーに腰かけると秘書が二人の前にお茶の入った湯飲みを置く。  それを確認した呉崎はデスクから離れ二人の元へ近づいたのだが。 「唯野さんだけじゃ飽き足らず、彼の部下にまでパワハラするおつもりですか?」 と秘書は一言。 「相変わらずだねえ、神流川くん。僕がそんなことすると思うの?」  にこりと微笑んで板井たちの向かい側に優雅に腰を下ろす呉崎。  秘書の名は神流川というらしい。 「思います」 とはっきり口にし、彼の前に湯飲みを置く神流川。 「そう」  呉崎は怒るでもなく面白いとでもいうように笑った。 「もっとも……彼にそんなことをしたら唯野君が黙ってないだろうね」  何が嬉しいのかにこやかに微笑むと両手を合わせ、そのまま組み合わせる呉崎。  ”何を考えているのかわからない人”。  それが板井からの呉崎への印象だった。 「唯野君はちっとも怒らないから、怒る彼にも興味はあるけれど」  不穏なことを言う呉崎に対し明らかに不快感を露にする皇。彼は社長の前だというのに足を組み、腕を組んだ。怒りを(こら)えているのだろうか。  呉崎は慈愛の眼差しを彼に向けるだけで何も言わなかった。  その様子を見ていた板井は、今まで不可解だと思っていたことへの答えを得たような気がした。 ──そういうことだったんですね。  副社長が気づいているのかはわかりませんが。  その後、板井は総括黒岩のことに関して呉崎に抗議をしたものの、のらりくらりと()わされてしまった。  話の持っていき方がダメなのだろうか。これでは(らち)が明かないと頭を痛めていたところに皇の横やりが入る。 「そんなことをしても意味なんてありませんよ? 社長」  ずっと黙っていた皇の言葉に呉崎が肩を竦めた。  感覚的に”呉崎は皇に弱い”ということを察知する板井。 「皇くん。君は何か勘違いしているよ。そもそも僕が何を言おうが黒岩君は自分の好きなように動く。彼はそういう人物だということ、(きみ)だってわかっているじゃないか」 「だからと言って(けしか)けていい理由にはならないでしょう? 黒岩さんは既婚者なんですから」  冷静ではあるが怒気を含んだ皇の声。  呉崎はそんな皇を切なげに見つめていた。 「黒岩君は入社当時から唯野君のことが好きなんだよ? 想いを告げるくらい()いじゃないの」 「良くありません。黒岩さんがそれで済むわけがないでしょう?」  皇の言うことは正しいと思う。しかし呉崎の気持ちに気づいてしまった板井は複雑な心境になる。 ──皇さんは気づいていないのだろうか?  ふと秘書神流川の方に視線を向けると彼も複雑な表情をしていた。  つまり、皇だけが呉崎の気持ちに気づいていないということだ。  人の気持ちというのはどうしようもないものだと思う。結婚していても他に好きな人が出来てしまうことはあるだろう。  良識を持った人間なら、それを理性で押さえつけるか離縁をし行動に移すものだ。  しかし黒岩にはそんな良識通用しないということ。ここまではこの場にいる誰もが理解していた。  皇はそもそも”既婚者は他の人間に心を奪われないもの”だと思っているのかもしれない。黒岩は特殊という認識だから呉崎の気持ちに気づかないのだろう。  そう思うと納得してしまう自分がいる。  言い合いを続ける皇と呉崎を眺めながら、板井は形容しがたい複雑な気持ちになったのだった。
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