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****side■板井
翌日。
板井は副社長の皇から呼ばれ、社長室にいた。
こんなにあっさり面会できることが意外であった。
思わず、
『社長ってそんなに暇なんですか?』
と聞いてしまったほど。
皇はその質問にぽかんと口を開けたのち、クスリと笑った。
『日に寄るんじゃないかな』
規模や形態、提携などにもよるだろうが、少なくとも我が社の社長はそこまで忙しくはないと彼は言う。
『無駄な会食とかしない人だしね』
『合理主義ってことでしょうか?』
『そうとも言うね』
皇と共に社長室へ通されると社長、呉崎は何故か嬉しそうに笑った。それを見て怪訝そうな顔をする皇。
「まあ、座りなよ」
と呉崎に促され、ソファーに腰かけると秘書が二人の前にお茶の入った湯飲みを置く。
それを確認した呉崎はデスクから離れ二人の元へ近づいたのだが。
「唯野さんだけじゃ飽き足らず、彼の部下にまでパワハラするおつもりですか?」
と秘書は一言。
「相変わらずだねえ、神流川くん。僕がそんなことすると思うの?」
にこりと微笑んで板井たちの向かい側に優雅に腰を下ろす呉崎。
秘書の名は神流川というらしい。
「思います」
とはっきり口にし、彼の前に湯飲みを置く神流川。
「そう」
呉崎は怒るでもなく面白いとでもいうように笑った。
「もっとも……彼にそんなことをしたら唯野君が黙ってないだろうね」
何が嬉しいのかにこやかに微笑むと両手を合わせ、そのまま組み合わせる呉崎。
”何を考えているのかわからない人”。
それが板井からの呉崎への印象だった。
「唯野君はちっとも怒らないから、怒る彼にも興味はあるけれど」
不穏なことを言う呉崎に対し明らかに不快感を露にする皇。彼は社長の前だというのに足を組み、腕を組んだ。怒りを堪えているのだろうか。
呉崎は慈愛の眼差しを彼に向けるだけで何も言わなかった。
その様子を見ていた板井は、今まで不可解だと思っていたことへの答えを得たような気がした。
──そういうことだったんですね。
副社長が気づいているのかはわかりませんが。
その後、板井は総括黒岩のことに関して呉崎に抗議をしたものの、のらりくらりと躱わされてしまった。
話の持っていき方がダメなのだろうか。これでは埒が明かないと頭を痛めていたところに皇の横やりが入る。
「そんなことをしても意味なんてありませんよ? 社長」
ずっと黙っていた皇の言葉に呉崎が肩を竦めた。
感覚的に”呉崎は皇に弱い”ということを察知する板井。
「皇くん。君は何か勘違いしているよ。そもそも僕が何を言おうが黒岩君は自分の好きなように動く。彼はそういう人物だということ、君だってわかっているじゃないか」
「だからと言って嗾けていい理由にはならないでしょう? 黒岩さんは既婚者なんですから」
冷静ではあるが怒気を含んだ皇の声。
呉崎はそんな皇を切なげに見つめていた。
「黒岩君は入社当時から唯野君のことが好きなんだよ? 想いを告げるくらい良いじゃないの」
「良くありません。黒岩さんがそれで済むわけがないでしょう?」
皇の言うことは正しいと思う。しかし呉崎の気持ちに気づいてしまった板井は複雑な心境になる。
──皇さんは気づいていないのだろうか?
ふと秘書神流川の方に視線を向けると彼も複雑な表情をしていた。
つまり、皇だけが呉崎の気持ちに気づいていないということだ。
人の気持ちというのはどうしようもないものだと思う。結婚していても他に好きな人が出来てしまうことはあるだろう。
良識を持った人間なら、それを理性で押さえつけるか離縁をし行動に移すものだ。
しかし黒岩にはそんな良識通用しないということ。ここまではこの場にいる誰もが理解していた。
皇はそもそも”既婚者は他の人間に心を奪われないもの”だと思っているのかもしれない。黒岩は特殊という認識だから呉崎の気持ちに気づかないのだろう。
そう思うと納得してしまう自分がいる。
言い合いを続ける皇と呉崎を眺めながら、板井は形容しがたい複雑な気持ちになったのだった。
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