1『変化する日常と想い』

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****side■板井    入社して二週間。板井の所属する苦情係は多忙を極めていた。自分たちが入社した年に新設された部署であり、まだマニュアルもない。唯一の上司である課長、唯野修二はしょっちゅう社長に呼ばれていた。  この時、板井は”できたばかりの部署だから”唯野が社長に呼ばれているのだと思っていたが、のちにその理由は判明する。 「板井、課長は?」  入り口の方から問いかけられ、板井はそちらに面を向けた。副社長の皇である。課長である唯野が不在がちな為、代わりに皇が自主的に手伝いに来ていた。 「社長に呼ばれたみたいです」 「またか」 と肩を竦める皇。 「まあいい。俺様が業務を手伝ってやろう。……って電車(でんま)は?」 「遅れるとさ」 と答えたのは板井の同僚の塩田。  皇はやれやれと言って彼の隣に腰かけるとPCを立ち上げた。  苦情係は上司である課長の唯野、新人の板井、塩田、電車(でんま)の四人だけの部署。わが社(株)原始人には、かなりの数の部署があり、その分役職もあるが、どういうわけか苦情係は特殊な位置にあった。 ──課長の上が副社長というのは、大企業にしては変だよな。  板井はため息をつき、チラリと皇の方に視線を移す。彼は若くして副社長となった、唯野の営業部時代の元後輩である。彼が優秀なのは誰の目から見ても明らかではあったが、全身ブランドで固められており一部の人間からは”キラキラ副社長”というあだ名をつけられていた。  そんな皇は、どうやら塩田に気があるらしく何かと彼に構う。そのお陰で何とか部署が回っているわけだが。   ──しかし、変わった趣味だな。  塩田はどちらかというと、愛想のいい方ではない。上司だろうが客だろうが忖度なしの塩対応。見目は良く、黙っていればモテそうだが。  しかし、変に言葉を飾らない彼の言葉には嘘がない。駆け引きなどが苦手な板井にとって塩田は、恋愛対象にはならないが居心地の良い相手だった。  彼と休憩が重なり話をするようになって、急激に仲良くなった。それでも皇の好みは変わっていると思ってしまう。 「悪い、遅くなった」 と、そこへ唯野が苦情係に入ってくる。 「お帰りなさい」  こんな時、なんと返したら正解なのか迷ってしまう。いつものように無難な言葉を返し、彼の胸ポケットに視線が止まった。 「ん? どうかしたのか」 「いえ、素敵な万年筆ですね」  唯野は既婚者。てっきり妻からの贈り物だと思っていたのだが。 「これ、塩田から貰ったんだ。昇進祝いって」 と嬉しそうに微笑む彼。  なんだか胸がチクリと痛んだ。 「板井?」  こちらから聞いておいて反応を示さない板井に不思議そうな顔をした唯野。 「昇進祝いですか」  板井はなんとか声を絞り出し、会話を繋いだ。  昨日の帰り道、愚痴をこぼしていたら塩田が昇進祝いと称してプレゼントしてくれたらしい。粋なことをするなあと、板井は塩田の方に視線を移す。正直、塩田が唯野のお気に入りなことは気づいていた。  だが、唯野は既婚者であり塩田は皇と仲が良い。どうこうなることはないと思っていた。 「俺も、何かプレゼントしますよ」 「え?」  報われない恋なのは承知の上。二番煎じでも、自分も彼の中に何かを残したかった。  断られる可能性もあったが、 「ありがとう。あんまり気を遣うなよ?」 と何故か彼は板井の好意をそのまま受け入れる。  板井はそれをとても意外に感じた。 「じゃあ、ネクタイでも」 と板井。 「それは嬉しいな」  こうして板井は後日、唯野にネクタイとネクタイピンを贈ったのだった。
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