1『変化する日常と想い』

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****side■黒岩(総括) 「よう、唯野」  いつものように会社の玄関口で、苦情係の課長である唯野をみつけ、背後からがしっとその肩に腕を回す。  すると、 「やめろって」 と唯野から腕を押しやられた。  その上、 「課長にセクハラするのはやめてください」 と彼の部下である板井から、腕をつねられる。  帰りが一緒になることはあっても、朝は別々な彼らが珍しく一緒にいるのを見て黒岩は、 「あれ? 今日は一緒?」 と思わず口にした。 「いいえ。駅で会っただけです。先行きますね」  板井は黒岩の問いかけを否定し、二人を追い越しエレベーターに向かう。唯野がそれを切なげに見送ったのが、黒岩は気になった。  だが、それを指摘するのも変だ。黒岩はもやっとしたが、そのことには触れずに彼の胸元に目をやる。 「お。お洒落なタイピンだな」  いつもはシルバー系のネクタイピンをつけている唯野が、木製系のネクタイピンをつけているのが気になり、彼のネクタイを覗き込むと、 「ああ。板井に貰った」 と目を細める。 ──ん?  黒岩は違和感を覚えつつ、彼と共にエレベーターに乗り込む。 「貰った?」 と黒岩が呟くように言うと、 「なんだよ、疑ってるのか?」 と唯野は肩を竦めた。 ──なんだ? 「じゃあな」  エレベーターの箱が自分の課の階に着くと、そういって彼は降りていく。黒岩は思わず、彼を追って自分も彼に続く。背後でチンと小気味良い音がし、エレベーターのドアが閉まる。 「な、なんだよ」  黒岩に腕を掴まれ、うろたえる唯野。 「今日、呑みに行こうや」 「は?」  わざわざその為に呼び止めたのか? と言うように怪訝な顔をする彼。 「お前、今忙しいんじゃなかったか?」 と問われ黒岩はじっと彼を観察する。 ──嫌な予感がするんだよ。 「今日は定時で上がるよ」 と言えば、 「わざわざ?」 と眉を寄せる唯野。  恐らく”そこまでして自分と呑みに行きたいのか?”と思ったのであろう。彼はため息を一つつくと、 「何か相談事でもあるのか?」 と問う。 「いや。唯野が苦情係に配属されてから、あまり呑みに行けてないなと思って」  どんな理由をつけても、不信感しか与えないことは分かっている。それでも応じてくれるのが唯野だった。    唯野修二という人物は誰にでも同じ温度で接するタイプ。不満を口にせず、いつも笑顔で我慢してしまうような彼を、黒岩はずっと心配してきた。 ──社長に対して嫌味を言うのは意外だったけれど。  黒岩はいままでずっと、誰に対しても態度の変わらない唯野にとって、自分が特別な存在なんだと自負していた。それは恋愛のような自惚れたものではない。同期入社の元同僚であり、仲が良かった時期があったからこそ、彼にとって自分は友人のようなものだと思っていたのだ。  そんな彼が、部下から貰ったものを嬉しそうに身に着けているのがとても気になる。 ──唯野の結婚にはずっと不信感を抱いてきたけれど、その理由が分からないでいた。しかし、今はっきりとその理由を理解した。  彼が今まで、妻からの贈り物を身に着けているのを見たことがない。  黒岩には、彼に告白して振られた過去があった。あのすぐ後に彼は、当時わが社の受付嬢をしていた女性と婚姻したのだ。一部ではデキ婚と噂され、熱愛結婚という噂さえ流れたのに。  もちろん身に着ける様な贈り物をしない夫婦もいるだろう。 ──あの婚姻には違和感しかない。  当時、連日吞みに行っていたような唯野に、果たして熱愛と言われるほど親密な付き合いをするような時間はあったのだろうか?
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