1・由佳里(ゆかり)さん

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1・由佳里(ゆかり)さん

 おとーさんが再婚した。  別に、反対だったわけじゃない。おかーさんが死んでから9年間、おとーさんはずっと妻なしで暮らしてきて、これからもずっとパートナーがいないのは寂しいだろうし。  ただ、今まで(カラ)だったポジションに、誰かがいるっていうことが、なんとなく不自然に感じるってことなんだ。 「(あい)ちゃん、起きてる?」  ドアのノックと共に由佳里(ゆかり)さんの声がしたとき、わたしはまだベッドの中でまどろんでいた。反射的に枕もとの目覚まし時計を見ると、十時をまわったところだった。由佳里さんっていうのは、新しいおかーさんだ。わたしは由佳里さんに向かっては“おかーさん”というけれど、心の中では“由佳里さん”といっている。たぶん心の中で思うとき、“おかーさん”はやっぱり死んだおかーさんで、由佳里さんじゃない、そういうことなんだと思う。 「うーん、起きた。起きてるよ」  わたしはベッドの中で大きく伸びをした。 「ホットケーキ焼いたの。一緒に食べる?」  由佳里さんは言いながらドアを開けて、まだベッドの中にいるわたしを見て、口調を曇らせた。 「まだ寝てたんだ」 「え、ううん、ちょうど今起きたとこ」  わたしは目をこすりながら、ベッドの上で起き上がった。今日は冬休みが終わってから初めての日曜日だ。今まで休日のわたしは早起きだった。おかーさんがいない分、わたしが家事全般をしなくてはならなかったからだ。たまった洗濯物を片付けたり、一週間分の掃除をしたりで、大忙しだった。だけど、もう早起きをする必要はなくなった。由佳里さんはとっても働き者で、とっても楽しそうに家事をする。そこにはわたしが手を出す余地はない。  由佳里さんは笑って、 「じゃ、下で待ってるね」  とドアを閉めた。続いて、階段を下りていくトントントンという音が聞こえた。 「ふあ~」  わたしは思いっきり大きなあくびをした。  けだるいな、と思った。新しい生活環境に慣れるっていうのは結構エネルギーが必要らしい。わたしは最近、なにをどうしてるってわけでもないのに、疲れを感じることが多くなった。  そんな気持ちを振り払うように、頭をぶんぶんと左右に振る。  由佳里さんはいい人だ。初対面のとき、新しいおかーさんに馴染めるかと不安だったわたしに、由佳里さんは陽だまりのような、あったかい笑顔を見せた。 「よろしく。仲良くなろうね」  すごくやさしそうな人だなと思った。  そして、由佳里さんは美人だ。華やかな美人ではないけれど、色白でふっくらとしていて、ほんわり笑う。温和な、いい奥さんタイプ。更に由佳里さんは若い。なんとわたしと15歳しか離れていなくて、まだ29歳なのだ。  なんで由佳里さんはおとーさんと結婚したのだろう。由佳里さんはお見合いの席でおとーさんを見て「この人だ!」と直感したと言っていたけれど。  なんだか嘘っぽい。だって、おとーさんが由佳里さんを見てそう思ったっていうのなら納得できるけど、なんで由佳里さんがおとーさんに? 20歳も年上の冴えないおじさんなのに。由佳里さんは結婚するなら年上の人って決めていて、アチコチに紹介を頼んでいて、それでおとーさんにチャンス(?)が巡ってきたらしい。ちなみに、おとーさんは、見合い写真を見たときからお見合いが終わるまでずっと緊張していて、生の由佳里さんの顔をまともに見ることもできなかったそうだ。  由佳里さんが「イエス」の返事をし、おとーさんは断るわけがなく、あっという間に話がまとまり、あっという間にわたしにはおかーさんが出来た。2週間前のことだ。ただでさえ慌しい年末年始が、更に落ち着かない日々になった。ここ数日で、やっとひと段落ついた気がする。 「さって、ホットケーキ食べにいこっ」  独り言を言いながら、ベッドから飛び降りた。窓の外は霧で白く煙っていた。  おかーさんが死んだ日のことを覚えている。  わたしを産んだ後の病気で体調を崩していたおかーさんは、わたしが五歳のとき、二人目を妊娠した。  お医者さんは産むことに反対した。おとーさんもおかーさんの身体のほうが大事だと思った。でもおかーさんは絶対に産むと決心していた。これが最後のチャンスかもしれないと、おかーさんはおとーさんに言ったのだという。これを逃したら、私はもう二度と子供を産めないかもしれないと。 『藍も弟か妹が欲しいでしょう?』  おかーさんに聞かれたことを覚えている。わたしは、 『うん! 欲しい!』  って、元気よくこたえた。だって本当にそう思ったから。弟か妹が出来るなんて、なんてステキなんだろう!  おかーさんはニッコリと微笑んだ。『がんばるからね。藍、おかーさん、がんばるから』  そう言って、わたしの手をぎゅうっと握り締めた。  そして――  お産のとき、おかーさんは死んだ。子供は死産だった。  死ぬってどんなことなのか、そのときのわたしは幼くて、よく理解できなかった、でも、わかったような気がした。  おとーさんが泣いていた。おかーさんはベッドの上で真っ白な顔をしていた。どんなに呼んでも、おかーさんは目を開けなかった。  死ぬって、いなくなっちゃうことなんだ。  なにも考えない。笑わない。話さない。身体だけ残して、どこかにいっちゃうことなんだ。  もう、おかーさんに会えない。  窓の外は真っ白だった。降り続いていた雪はどこまでも深く純粋に、風景を永遠に覆いつくしてしまうかのようだった。大粒の雪の大群が、涙の視界にかすんだ。  おかーさん。  おかーさん。  わたしが、弟も妹もいらないって言ってたら、おかーさんはいなくならなかったの?  心の中で叫んだわたしの言葉は、永遠の白さの中に、音もたてずに吸い込まれていった。  今日みたいな白い日には、いつもおかーさんが死んだ日のことを思い出す。
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