2.聡(さとし)

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2.聡(さとし)

 ホットケーキを食べてから、買い物に出ることにした。駅前の本屋さんに行こうと思った。確か欲しかったコミックスがもう出てるはず。  玄関のドアを閉めたとき、お向かいさんのドアが開いて、(さとし)が出てきた。聡も出かけるところらしかった。 「聡」  鍵をかけている後姿に声をかけると、聡は振り向いて、わたしを認めると、 「よお」  と笑った。  聡とは子供の頃からの付き合いだ。わたしが生まれたとき、既に聡家は、向かいの家に住んでいた。聡は2つ年上の高校一年生で、昔は本ばっかり読んでて頭よかったのに、中学生になってからは恋ばっかりして、夢中になって、結局失恋して落ち込んで、その繰り返しで忙しくて成績も落ちた。失恋すると家に来て、わたしの作った夕食を食べて、ちょっと元気になった。聡が好きなハンバーグは、わたしの得意料理になった。  聡の父親と母親は、聡が赤ちゃんのときに離婚していて、聡は母親と一緒に暮らしている。聡の母親はバリバリの仕事人で、あんまり家にいない。だから聡は鍵っ子で育ってきた。わたしと同じだ。一人っ子のところも同じ。 「藍も出かけるとこ? どこに行くの?」  聡は鍵をジャラジャラ鳴らしながらポケットに入れた。掌で鍵をジャラジャラ鳴らすのは聡の癖で、昔から変わらない。 「本屋。聡は?」 「じゃあ、俺も本屋に行こう」 「なに? 休日はデートなんじゃないの?」 「フラれた」 「また?」 「うん」  聡は肩を落として、わたしと並んで歩き出した。  確か新しい恋が始まったのは、2ヶ月くらい前だったと思う。通う高校は違うんだけど、朝よく見かけるコらしくって、聡から好きになったんだ。あ、言うまでもなく、聡はとっても惚れっぽい。  しかしなんでいつもフラレちゃうんだろう。幼なじみの欲目じゃなく、聡は結構いいセンいってると思う。ちょっと明るめの髪の色とか、涼しげな瞳とか、母性本能をくすぐるような雰囲気とか、流行りのアイドルっぽい。  失恋の理由は聞いたことがない。聡は自分から話さないし、わたしも傷をえぐるようなことを聞けないのだ。ただいつも「フラれた」って言って元気なくて、わたしはおいしいものでも作ってあげようと思う。聡は失恋すると、わたしの手料理を食べに家に来た。  わたしの横で、聡は大きなため息をついた。 「おとーさん、再婚したから」  と言うと、聡はわたしの顔を見た。 「うん、知ってる。だっておまえ、2ヶ月くらい前、パニくりながら俺のとこに来たじゃないか」 「え?」 「『おとーさんがお見合いした。まさか決まるなんて思わなかったのに、再婚することになった。どーしよ~、聡~』なんつってさ。俺が『よかったじゃん。お母さんが出来るなんて、スゴイいいことじゃん』って言ったら、おまえ、『そっか、そうだよねえ』なんて納得してた」 「そうだっけ」 「そうだよ。おまえ忘れっぽいな」  聡は呆れたようにそっぽを向いた。  そういえば、そうだったかもしれない。確かにそんな記憶が。  いきなり再婚が決まって、わたしは我を忘れるほど、ものすごく動揺したのだ。それで、つい聡に泣きついてしまった。  そんなふうに聡に助けを求めることはよくある。聡はわたしにとってティッシュペーパーみたいな存在だ。ふわふわ軽くて、やわらかくて、近くにあるのが当たり前、みたいな。聡はわたしの感情を、す~っと吸収してしまう。感情的になってしまうわたしは、いつも聡のお陰でスッキリしてこられたのだ。 「それにしても急展開だよな。決まってから再婚したの、早すぎじゃない?」 「うん、とりあえず籍だけ先に入れたの。披露宴とかは、落ち着いてからやるらしい」 「なんでまた、そんなに慌てて」 「知らない。早く一緒に暮らしたかったから、なんて二人は言ってるけど」 「ふうん」  聡は納得してないような様子だった。実はわたしだって納得していない。おとーさんが由佳里さんの気が変わることを恐れて、入籍を急いだのだろうか。わたしが理解する、しない、に関わらず、わたしの外で世界はぐるぐる回っている。そしてわたしは一人、置き去りにされるのだ。 「そういえば、新しいお母さん、見かけたよ。美人だね。それに若いし」  ニヤニヤしながら言う聡を見て、わたしはムカッとした。 「ダメだよ」 「なにが」 「由佳里さんはダメ。人妻なんだからね」  聡は呆気にとられたように、一瞬口を開けたままになり、その後眉間に皺を寄せた。 「なに言ってんだよ。俺はそんな節操のない人間じゃありません」  聡もムカッとしたようだった。更に言葉を続ける。 「大体おまえ、なに? 新しいお母さんのこと、由佳里さんって呼んでるの? まさか母親として認めない、なんて子供みたいなこと思ってるとか?」  聡の口調が説教じみてきた。昔からそうだ。いちいち人のこと、干渉してきて偉そうなことを言う。ちょっと年上だからって。  いきなり思い出したけど、小学校のとき、友だちと喧嘩して、学校行きたくなくなって、部屋に閉じこもっていたときも、聡が訪ねてきて、こんな調子で説教を始めた。関係ないのに。でも、あまりにも聡が必死でしつこいので、わたしは学校に行くことにした。それで、友だちとも仲直りできた。 「そんなこと思ってない。それにわたし、ちゃんと“おかーさん”って呼んでる もん」 「それならいいけど」  本屋に着いて、聡が先に入っていった。 「聡」 「ん?」  聡は振り向いて、少し頭を傾けながらわたしを見た。 「だから、わたしが言いたかったのは、新しいおかーさんができたから、今までとは違うってこと」 「なにが?」 「だから、家に来ても夕食作ってるのは、わたしじゃないから。もう聡にハンバーグ作ってあげられないよ」 「なんだ、そんなこと。いいよ、別に」  聡は素っ気なく言った。“そんなこと”? “いいよ、別に”? なによ、その言い方。  わたしは傷ついた顔したらしい。聡は近付いてきて、わたしの顔を覗き込んで、ニッと笑った。 「そんな顔すんなよ。嘘だよ。すっごく残念。今度はさ、俺んち来て作ってくれよ、ハンバーグ」  子供をあやすような口調で言う。なによ、おもしろがっちゃって。でも悔しいけど、なんとなく嬉しい。  聡はエッチな雑誌のコーナーに向かい、わたしはコミックスのほうに行った。お目当ての本の精算を終えて、チラッと見ると、聡はまだ雑誌に見入っていたので、先に店を出ることにした。  しばらく歩いていると、後ろからボンッと頭をたたかれた。 「痛いっ」  頭を押さえて振り向くと、聡だった。 「なんだよ、俺を置いてさっさと行っちゃって」  走って追いかけてきたらしい。息が弾んでいる。 「だって聡、雑誌見てたし」 「おまえが買い終えるの、待ってたんだろがっ」  顔つきが険しい。聡、怒ってる。 「ごめん」  小さく謝ると、聡は険しい表情のまま、わたしの前を歩き出した。数歩行ってから、突っ立ったままのわたしのほうに振り向いた。 「ほら」  つん、とアゴで前方を促す。 「行くぞ。コーヒーでもおごってやる」  それでもわたしはきょとんとしたままだったので、聡はわたしのとこに戻ってきて、横からわたしの背中に腕をまわして、前に押した。 「ちょ、ちょっといいよ、別におごってくれなくても」 「なんだよ、いいじゃん。たまにはデートしようぜ」 「デート?」 「休日に予定がない同士でさ」  彼女にフラれたからって、わたしで寂しさを紛らわすな! と思ったけど、たまには聡におごってもらうのもいいかも、と考え直した。どうせわたしもヒマだし。  それでわたしたちは、駅前のコーヒー専門店に入ることになった。 「今日も寒いね」  今更気付いたかのように、聡が言った。
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