強盗

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「長谷川を呼びやがれ!」 なんでこんな日に限って。いや、これが今日起きたのは必然だったのかもしれない。私は今、警察に囲まれている。 月末の会社の支払いで銀行に来たまでは良かった。 毎月の事ながら混雑している銀行のベンチで順番を待っていた時に、突然銀行強盗が押し入ってきた。 拳銃を持った強盗は私のこめかみに拳銃を突きつけ金を鞄に入れさせようとしたが、機転の利いた銀行員が強盗の目を盗んで通報ボタンを押した。 駆けつけた警察たちが銀行を囲んだのは、つい5分前だ。 威嚇の発砲で窓ガラスが割れたから拳銃は本物だ。 これまでの人生で最も死が近づいているであろう私の頭を占めていたのは、家族のことでも、これまでの人生のことでもなく、くまちゃんのパンツのことだった。 長引く雨の影響とずぼらな性格が災いし、酔ったノリでディスカウントストアで買ったくまちゃんのパンツを履くしか今朝の私には選択肢がなかった。 拳銃で撃たれることよりも、病院に運ばれて大勢の医者や看護師の前でくまちゃんのパンツ一丁になった自分を考えることの方が恐ろしかった。 よりにもよって、今日はお気に入りのトップスとスカートを着ているから、ますます滑稽に見えるだろう。 「あのー、解放してくれないですか?」 「何言ってんだ、お前」 「こんなことしても誰も得しないですよ」 「うるせえよ、もう引くに引けないところまできてるんだから、黙ってろ」 「お金は鞄に入ってるんだから、裏から逃げたらいいじゃないですか」 「裏にも警察がいるんだよ」 「じゃあ、もう捕まりましょうよ」 「馬鹿か、お前は。お前を人質にしてうまく逃げるんだよ」 「私、くまちゃんのパンツなんです」 「何言ってんだ、お前は」 「いや、なんでもないです」 これだから、銀行強盗は話にならない。うら若き乙女の悩みを全く理解できていない。いや、悩みを理解できていれば、銀行強盗のような馬鹿なことなんてしないのか。 警察側から一人の刑事と思しき男が銀行の方に近づいてきた。 「私は越後署の長谷川だ。君の要求を聞かせてくれ」 「逃走用の車。セダン型を1台用意しろ!」 「分かった、用意するから人質を離してくれ」 いいぞ、長谷川。頑張れ、長谷川。 「それ以上近づいてくるんじゃねえ!人質がどうなってもいいのか!」 バカ、長谷川。車を用意しろ、長谷川。 「分かった。ちょっと時間をくれ」 長谷川は警察の波の中に戻っていった。 「あの、一つ聞いていいですか?」 「なんだよ」 「どこに逃げるんですか?」 「決めてねえよ。とにかく遠くだ」 「なるほど。じゃ、近くのディスカウントストア寄ってくれませんか?」 「もういいから、黙ってろ」 「長谷川を呼べ!早くしろ!」 心なしか、先ほどよりも強盗は苛々しているようだが、知ったこっちゃない。そんなことよりも、私の気持ちを汲み取ろうとしない強盗に私は苛ついた。 しばらく経つと、長谷川がまた進み出てきた。 「長谷川だ。車は用意したから、人質を離してくれ」 「まずは車の鍵を渡せ。そっちが先だ!」 長谷川が少しずつ近づいてくる。 「止まれ!」 よし、動くな、長谷川。 強盗まで5mくらいまで近づいたところで、長谷川が止まった。 「そこから鍵を投げろ!」 正念場だぞ、長谷川。 長谷川が鍵を投げた。 大きく、素早く振りかぶって投げた鍵は強盗の頭上を超えていった。 想像していなかった出来事に強盗の手が緩み、強盗を捕まえようと長谷川が走り寄ってきたのとすれ違うようにして、私は走った。長谷川、ナイスだ。 「今、人質の女性がこちらに向かって走ってきます!無事のようです!」 多くのテレビカメラが一人の女性の姿に注目していた。 「もうすぐそこまできています!早くこっちへ!あっ!危ない!」 ゴールを前にちょっとした段差でつまづいて派手に倒れながら、私は思った。 ボーナスが出たら乾燥機を買おう、と。
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