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6 ドイツ人魂
「最後の手紙には『今から行きます』と拙い日本語で書かれてあったんだ」
女将さんは、また、ちらちらと私を見て言った。
「じゃあ、ハンスさんは、日本に向けてドイツを出たんですね」
「そういうことだね。でも大正時代だからね。旅客機ですぐに飛んでくるってわけにはいかないよね」
「たしかに、主な交通手段は客船ですよね。ドイツからここまで何日ぐらいかかるのかな……」
世界地図を思い浮かべるが、ドイツってどこらへんだ? とにかく遠いのだけは確かだ。
「最後の手紙から1カ月たったがハンスは来なかった。だけど少女は信じて待った。さらに2カ月たっても音沙汰はなかった」
「ひょっとして、そのままいくら待っても来なかったっていう悲恋物語で終わるんですか!」
わたしは、手に汗を握っていた。
「そう思うかい? それがね、今日みたいに珍しく雪が降っている、12月の夜の事だった。ハンスは、ついに少女のもとに返って来たんだよ」
女将さんは、窓から外を見た。
「ええー! よかった! さぞ苦労したんでしょうね」
わたしは、隣の大山先生に抱き着いて喜んだ。
「そうだね。ドイツから日本への旅はすんなりとはいかなかったらしいね。徳島からは、歩いてこの北之灘まで来たそうだ」
「ハンスが帰って来たと言う事は、少女と結ばれたんですよね!」
私はカウンターから乗り出さんばかりに、女将さんに迫った。
「そう、約束通り結婚をした。周りに祝福されてね。この辺りの人たちはドイツ人捕虜に対して好印象を持っていたから、外国人との結婚を反対したり、差別したりすることはなかったんだ。二人は祝福されたんだよ」
「ああよかった! ハンスさんは、さぞすてきな人だったんでしょうね」
「ああ、ステキな人だった……。そのハンスさんこそかく言う、私のお父さんなんだ」
「え! じゃあ、ここで待っていた少女と言うのは」
「私のお母さんさ」
「じゃあ、女将さんは、お父さんがドイツ人でお母さんが日本人ということですか?」
「そうさ。今でいうハーフていうやつかな」
「そうか! それで大のドイツびいきなんだ。そりゃあそうですよね。
でも女将さんの話は、今見て来たような話し方でしたね」
「それはね、母が幼い私によくこの話をしてくれてね。もう、覚えちゃったよ。この話をする時の母はうれしそうだったね」
「え、まてよ、じゃあ、女将さんのお孫さんもドイツ人の血が流れているってことですよね」
「そうだよ。孫の『渚』の事だろ。あの子にもドイツ人魂の片りんが息づいているんだよ」
「ドイツ人魂が、どういうものかよく知りませんが、渚さんの何かにつけて真面目で一途なところが、そうなのかもしれませんね」
「そうだと思うよ。私もね一途に突っ走ってたことがあるからね」
「ああ、女将さんがバイク集団『ゴールドワシュバーフント』の団長『シュトルム凪』さんだったことですね。さぞ武勇伝がたくさんあるんでしょうね。また聞かせてくださいね」
「いやあ、お恥ずかしいです」
そう言って『場有』の女将さんは、また窓から外を見た。そして、降り続く雪を見て、
「ハンス父さんがここへ戻って来たのは、こんな日だったんだろうねえ……」
とつぶやいた。
北之灘物語 冬 居酒屋『場有』 終わり
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