きょうも、あしたも「おゆき」の空は、日本晴れ

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きょうも、あしたも「おゆき」の空は日本晴れ     噺家になりたかった女流落語家        笑笑停 雪観(わらわらていせつかん)の足跡   1の噺 おゆき誕生 時は、(西歴1926年)昭和元年 ある落語家の家に子供が生まれた。師匠の名は 5代目、笑笑停 笑観(わらわらてい しょうかん) 年齢60歳 本名、田所 政右ヱ門(たどころまさえもん) そして、そのおかみさんが20歳の 若い女房、「なつ」だった。 年齢差40歳の夫婦であった。 夫婦(めおと)になって 1年目の冬、それも大晦日に「なつ」 が女の子を産んだ。 笑観には初めての子供であった。 子供を抱いていると 「お孫さんですか?」 などと言われているようだ、 最初の頃は正直に自分の子供だと、 言っていたがあまりにも聞かれる 回数が多いので、いつからか 「お孫さんですか」 と聞かれると「そうだ」 と言うようになっていた。 いちいち答えるのが面倒くさく なってきたらしい。 娘の名は『おゆき』出産時に ちらちらと雪が降っていたことで 笑観が洒落の如く『おゆき』 と付けたのだった。 笑観の家には見習いが2人、 前座が1人、二つ目が1人いた。 見習い2人は笑観に弟子入りをして まだ半年もたたない 前座名もまだもらっていない。 名を音吉と清吾という。 歳はふたりとも17歳、現在、 住み込みで家事や雑用を こなしている。 前座の、笑笑停 少々(わらわらてい しょうしょう) まだ、前座になりたてで、 あがり症なのがたまに傷 そして、二つ目の男が、笑笑停 関関(わらわらてい かんかん) 現在、力を付けてきている 弟子の一人だ。 笑笑停 笑観、歳はいってるが、 現在トップの売れっ子噺家。 弟子はこれ以上とらないと 言っているのだが門前を叩くものが 後を絶たない。 弟子入りできたこの4人はラッキー だったと言えるだろう。 笑観の気まぐれで入門を 許されたのだった。 さて、このお話の主人公は、 まだ赤ん坊の『おゆき』である。 この時代、噺家世界は完全なる男社会 女が噺家になるなどと誰も考えたり 思ったりしない時代、 その逆境にどうおゆきが 立ち向かうのか・・・・・・ **************** おゆきが生まれて3年が過ぎた。 当初見習いだった、音吉と清吾は 前座になっていた。 音吉が、笑笑停 笑音(わらわらてい しょうおん) 清吾が、笑笑停 笑吾(わらわらてい しょうご) 前座だった、笑笑停 少々(わらわらてい しょうしょう)はそのまま、 二つ目の、笑笑停 関関(わらわらてい かんかん) に関しては、二つ目の場合、ある程度、 ラジオや、寄席、演劇場などに 自分を売り込んで仕事を取らなければ いけない。 その営業があまりうまくなく、 仕事が無い場合が多い。 真打になるのはまだまだ先の ようである。 師匠の笑観も、二つ目、 関関に対して甘くしていない この状態のままであれば、 いつまでたっても真打などには なれないからである。 実力はあるのだが、人気が いまいち出ていない もっと、積極的に自分を売り込めと 笑観が口を酸っぱくして 言っているのだが・・・ そんな、弟子たちの落語修行を 見て育ってきたおゆきは3歳で、 古典落語を見よう見まねで覚えてしまった。 父親の笑観が、笑音と笑吾に古典落語の初歩 平林(ひらばやし)を教えていた時の事である。 その噺をふすまの隅で聞いていた、おゆきが 一回聞いただけで師匠、 笑観の話し方そっくりに覚えてしまい、 1人で遊んでいる時や、母親、なつの手伝いを している時などに口ずさんでいた。 おゆきのばあい、口ずさむのは童謡の歌などではなく 古典落語を、口ずさんでいたのだ。
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