入院貴族

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「どうした、浮かない顔をして」  声がしたほうを見ると、僕と同じくらいの年の、パジャマ姿のヒョロっとした少年がいた。  夏だというのに、高級そうなビロードの長袖。  透き通るような青白い肌に、色素の薄い髪の毛が、サラサラと肩にかかっている。  病院の中庭。  色とりどりの季節の花々が、入院患者の荒んだ心に一服の清涼剤を与えようと頑張っているが、僕には届かない。 「ふん、入院したばかりか。一週間後に手術。さっき注射を打ったが、君は注射が大嫌い、といったところだろう」 「なんでわかるの?」  驚いて、思わず口に出してしまった。  憂鬱になっていたところに、急に知らない子に話しかけられて、いい気分ではなかったのに。 「僕はベテラン入院患者だからね。君のような初心者の気持ちは手に取るようにわかる。ここの看護師は注射が上手だろう。僕に感謝したまえ。なにしろ、みんな僕の高貴なる腕に何本も刺すことで上達したのだからね」  な、な、な、なんなんだ、この子は。 「でも、痛かったよ」 「この世に痛くない注射などあるものか。痛みとは、君が生きているあかしだ。死んでしまえば、痛みなど感じない」  なんだこいつ。すっごく偉そう! 「そもそも、君、だれ?」 「ふん。人に名を聞くときは自分から名乗るのが礼儀だが、君が初心者であることに免じて僕の名を明かそう。僕は名門、梅小路(うめこうじ)家の御曹司、梅小路実麻呂(うめこうじさねまろ)だ」  変な奴!  関わらないほうがよさそうだ。 「僕、山本健太。僕、もう行くからね」 「そうか、健太殿か。僕はいつもこの時間にここにいる。君も来たまえ。これから僕が君を立派な入院患者にしてみせよう」  病室に戻った僕は、さっきのことを振り返った。  まったく、なんなんだ。  よく知らないけど、きっとお金持ちの家に生まれたことを鼻にかけているんだろうな。  ほんっと、嫌な奴。  でも、あの子、自分のことをベテラン入院患者って言ってたな。  ずっと入院してるんだろうか?  だとしたら、ちょっとかわいそうだな。  僕は気になって、次の日も午前中の注射の後に、中庭に行った。  話してみると意外といい奴で、結局、それは毎日の日課になった。  なんだかんだ言っても、僕も心細いのだ。  不安を紛らわせるためには、話し相手が欲しい。 「健太殿はこれから手術か。だが、心配するな。成功はこの僕が保証しよう。なにせ、ここの医師たちは、僕の難しい手術を何度も繰り返すことで、相当腕を上げたのだからね」  まるで逆上がりが上達した、とでも言うかのように、大変なことをさらっと言われた。  僕は手術が成功して回復したら、すぐに退院できるけど。 「君はまだしばらく入院しなきゃいけないの?」 「うむ、そうだな。これまでもだいぶ医療の発展に貢献してきたが、まだまだ僕の協力が必要だな。それでも、僕のおかげで救われる命があると思うと、誇らしいよ。これも名門、梅小路家に生まれたものの務めさ」  そう言った梅小路の横顔は、どこか寂しそうに見えた。  そういや、彼はいつも一人でいる。  家族の人とか、どうしてるんだろう。 「梅小路家は社会のために、やることがたくさんあるのだ。父君や母君の仕事の邪魔をするわけにはいかない。それに、病気ぐらい、僕一人で戦って勝ってみせるさ」 「僕、退院したらお見舞いに行くよ」 「そうか。そのときは受付で特別室はどこかと聞いてくれたまえ。僕は庶民の君たちとは部屋が違うのでね。約束だぞ。必ず来てくれよ。僕の好きなバラの花束を持ってな」  なんて、鼻につくけど、梅小路は嬉しそうだった。  そして、いよいよ明日が手術という日、僕は不安でたまらなくなって、中庭に行った。  ところが、なんてこった!  この日に限って梅小路はいなかった。  がっかりしたけど、気を落とすわけにはいかない。  梅小路は強い。  僕も負けるもんか。  僕は当日、気合いを入れて臨み、手術は無事成功した。  それから数日間は絶対安静。  やっと回復して、明日が退院という日になって、ようやく僕は中庭に行くことができた。 「どうした、浮かない顔をして」  どこかで聞いたセリフ。  でも、このときは注射のせいじゃない。  梅小路を見たときのショックが、僕の顔に表れていた。 「心配するには及ばぬ。少し熱があって、しばらく来れなかっただけさ。退院おめでとう。今日はどうしても君に会いたくなってね」  大丈夫?と出かけた言葉は、彼の謎めいた微笑みにかき消された。  それからしばらくののち。  病院の受付。  特別室はどこかと聞いた僕の足元に、バサリと落ちたバラの花束。  最後に見た寂しげな笑顔。  いつも強がり。  不安な僕は、もらってばかり。  バカ、バカ!バカ、バカ、バカ!  約束だって言ったじゃないか!
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