古屋 みけ

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「よし」  スクランブル交差点を渡りきり、さらなる人の流れに飲まれる覚悟を決めたわたしは、重い足取りを曲のテンポに合わせて無理やりに早くする。周りにつられないように、必死にヘッドフォンの中に意識を集中させた。2曲だけのリピート再生にしてある、ヘッドフォンの中の安心の世界。いつだってわたしはこの2曲がなければ渋谷を歩けない。いくらバイト帰りに好きな人に会えると言っても、その程度の浮かれ方では渋谷では2ミリも浮き上がれない。だから、浮力を増して歩きやすくするための、ヘッドフォン。魔法の、アイテムみたいなやつ。  わたしには少し大きいし音質だって別に言うほど良くない。だけどわたしにとってのお守りであるためには充分だった。少しノイズの走る、そんな完璧じゃないところも好きだった。好き勝手に歪む曲がこの街に合っているから、余計に。両耳を塞ぐヘッドフォンに手を当て、ぎゅっと押し付ければ渋谷の街はよりわたしのものになる。浮力が増してほんの少しだけ、浮ける、から。ヘッドフォンから手を離さずにいつもの場所へ急ぐ。
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