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あの日、この店のドアを開けた瞬間からわたしの中には店長がいる。長い髪を適当に後ろで括って、拡張したピアス穴からは後ろの棚がよく見えた。いつもだるだるの古着に全身を委ねている店長の、綺麗に切られた爪と角張った手。そこで止まらない、嫌な感情。
店長とどうにかなりたいわけじゃない、なのに、そのはずなのにわたしはまだまだどこまでも求めてしまう。何も知らないのに。手を伸ばしてもいいのか、だって、分からないのに。
「オムライスーできたよー」
はあい、と返事をして降りる階段。当たり前のようにそこにいる店長とはまだ今日一回も目が合わないまま。
「店長」
「んー?」
「おいしい」
「そかそか」
喉の奥が締まって鼻が痛くなる。ダメだ、ここで泣いちゃったら。隠してきたものが全部、このカウンターに並んじゃうから。
「ギター弾けるようになった?」
「……ちょっと」
「重いでしょ、それ」
「今日はそれで泣きました」
「はは、そっか、ごめんごめん」
店長が要らないから捨てると言った古いギター。店にずっと置かれていたままのものを直してもらってわたしが譲り受けた。弾けるようになったのは本当に少しで、コードがいくつか弾けるくらい。別にギターになんて興味なかったのに、手が勝手にギターに伸びていた。これが唯一店長に近寄れたわたしの一歩。だからいつも持ち歩いては、いつか踏み出すかもしれない二歩目に怯えて泣いてしまう。
失敗するかもしれない二歩目が怖くて、わたしはギターケースに潰されながら毎日を歩いている。
失敗するかもしれないのが怖くて、わたしはあのレザージャケットに手を伸ばせないでいる。
「じゃあ、帰ります」
「うん。気をつけてね」
「はい」
いつもドアのところまで来て見送ってくれる店長を、わたしは振り返って見たりしない。色んなものが溢れないように慌ててつけるヘッドフォンから、またわたしのお守りが流れる。人を好きだというだけで潤む瞳が、痛いくらい愛らしくて、そして嫌だった。
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