フリークス/怪物團

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●トッド・ブラウニング監督 (Tod Browning, 1880年7月12日 - 1962年10月6日) アメリカ合衆国の映画監督・俳優。 サイレント映画、トーキー映画の時代の映画人で、1931年の『魔人ドラキュラ』、1932年のカルト映画『フリークス』の監督として有名。 本名はCharles Albert Browning。 16歳で家を出てサーカスに入団、やがて映画俳優として活躍を始める。 その後短編を監督し、16年にD・W・グリフィスの「イントレランス」で助監督となり、17年の“Jim Bludso”で長編デビューを果たした。 その後はメロドラマ中心に演出を手がけたが、26年の「黒い鳥」で俳優ロン・チャニーと組んでから猟奇ドラマに転向。 31年に監督した「魔人ドラキュラ」でユニバーサル・ホラー路線を確立したが、33年の「怪物團」では本物の身体障害者を出演させて物議をかもしだした。 62年、ガンで死亡。 【主な監督作】 「三人」 The Unholy Three (1925) 「マンダレイへの道」 The Road to Mandalay (1926) 「知られぬ人」 The Unknown (1927) 「見世物」 THE SHOW (1927) 「ザンジバルの西」 West of Zanzibar (1928) 「獣人タイガ」 Where East Is East (1929) 「魔人ドラキュラ」 Dracula (1931) 「フリークス」 Freaks (1932)  *初公開時のタイトルは『怪物團』 「街の伊達男」 FAST WORKERS (1933) 「古城の妖鬼」 Mark of the Vampire (1935) 「悪魔の人形」 The Devil-Doll (1936) 「帽子から飛び出した死」 MIRACLES FOR SALE (1939) acaea39e-3f6e-4668-bd33-14f637155f38 (オルガ・バクラノヴァとトッド・ブラウニング監督) ●オルガ・バクラノヴァ (Olga Baclanova、1893年8月19日 - 1974年9月6日) ロシア・モスクワ出身の女優。 1928年にジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『紐育の波止場』に出演し、ブロンドヘアーと彫刻のように整った顔立ちで迅速に人気が高まり、サイレント映画の女優として注目される。 同年に製作された『笑ふ男』では主人公を破滅させる魔性の女を演じ、いわゆる“ヴァンプ女優”としての人気を確立。 しかしトーキー映画に移行してからは、ロシア訛りの強く残る彼女はなかなか適応することができず、徐々に脇役に追いやられてしまう。 そんな中で出演したトッド・ブラウニング監督作の『フリークス』ではサーカスを舞台に遺産を狙って相続した小人の男を誑かし殺そうとする空中ブランコ嬢のクレオパトラを演じる。 作品自体は公開当時は注目を受けなかったが、徐々にカルト的な人気を誇るようになり、彼女の代表作となる。 『フリークス』以降はいくつかの作品に出演するも、43年を最後に出演せず、以降も復帰することは無かった。 しかし、トーキー映画移行後も舞台女優として精力的に活動しており、ロンドンのウエストエンドやニューヨーク、またワシントン州のシアトルのムーア劇場では“Claudia”の公演に参加している。 cd6d60b3-8f44-4540-b583-e12ca44ec7f3
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