幕末にタピオカミルクティーは無かったと思う

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「それじゃ、ご先祖様を呼んでくださる?」  薄明かりの灯る怪しい部屋に案内され、彼女から最初にかけられた言葉がこれだった。 「はい? えっと……私はどうすれば……」 「ふふ、冗談よ。普通の子がいきなりこんなこと言われても困るわよね」  意図不明な冗談でマウントを取り、怪しい笑みを見せるこの女性はマツコさん。  母曰く、彼女は母の大学時代のクラスメイトであり、占星術のサークルで部長を務めていたそうだ。  占い好きが高じて、彼女は大学卒業後に貯金をはたいて占い師として独立開業。  金銭トラブルや訴訟などいろいろあったらしいが、それらを乗り越えて二十余年を経た今、県内でも名の通った霊媒師へと大出世したらしい。  なぜお星さまから幽霊へ鞍替えしたのかは定かでないが、その行動力はたいしたものだ。  ただ、占いも霊能力も全く信じていない私にとって彼女はただの胡散臭いオバサンというか、野太い声とデラックスすぎる体形が相まって、もう月曜日の夜更けに活躍する某司会者のそっくりさんにしか見えない。 「それじゃ、ご先祖様が顕現しやすいように私が気を送るから。アナタは目を閉じて」 「あ、はい……」 「そう、目を閉じたまま……呼吸を深く……落ち着いて……いいわよ。その調子」  もちろん、現実主義者である私が自らの意志でここへ来たわけではないし、彼女に心を開くつもりもない。  周囲の意見に流されるまま近所の大学へ行き、新卒で入った会社を三か月で辞めたあと自堕落な生活を送っていた私に業を煮やした母が、私の腐りきった性根を鍛えるという名目で勝手に予約をしたのだ。  キャンセル料が100%でなかったら、決して来ることはなかった。 「……ねえカオルちゃん、折角頑張って大学まで行ったのに今無職なんですって?」  母に聞いたのだろう。目を閉じている私の肩やら背中やらをさすりさすりとしながら、マツコさんがそんなことを口にした。  呼吸が乱れるから話しかけないでほしい。 「若い子はもっと夢とか目標を持たなくちゃ。お母さん心配してたわよ?」  だから話しかけるなと。  なぜお金を払ってまで、初対面のオバサンに説教されないといけないのだ。          † † † 「へえ、営業マンのサポートの仕事ねえ……みんな同僚の悪口ばっかりなんだ」 「そうなんですよ。お客さんの悪口を言う人もいて……なんか違うなって……」 「それは辛かったわね。でも……どこの会社もそんなもんよ? みんな自分で精一杯だから、人を貶めて自分をなんとか保ってるの」  深呼吸の儀式が始まってから数分――呼吸の乱れなどお構いなしにマツコさんの世間話は続いている。 「酷いですよね……でも、自分のメンタルがこんなに脆いとも思ってなかったので、なんか社会復帰が怖くて……」  そして、気が付けば私も個人情報だだ漏れになっていた。  話し上手というか聞き上手というか、彼女の落ち着いた声色に警戒が緩んでしまったのだ。 「カオルちゃん……大丈夫。きっとあなたを守ってくださってるご先祖様に邪気が流れ込んで、あなたの心が脆くなってるの。私がご先祖様にしっかりと話を聞いてあげるから」  あれほど心を閉ざすと決めていたのに、どうも私は自分で思っているよりチョロい女なのかもしれない。  そんなことを考えていると、ふいにマツコさんが立ち上がる。 「……カオルちゃん、だいぶ気が集まってきたし……そろそろ始めるわよ」  今からオカルトゾーンに突入するようだ。 「はい、私は何を……?」 「そうね……また目を閉じて、今度はご先祖様の姿を強くイメージして」 「え、お爺ちゃんですか? お婆ちゃん?」 「……お爺ちゃんね。体に悪い影響が出るのはだいたいお爺ちゃんが原因なの」  ホントかよ、と思いながらも再び目を閉じる。  多少の嫌悪感はあるが、まあマツコさんから見て私は旧友の娘ということになるわけだし、彼女なりに真剣に仕事をしてくれているのだ。  この行為の信憑性はともかく、せっかくお金を払ってここへ来たのだから、今は現実主義の鎧を脱ぎ捨て、彼女に合わせるのが礼儀だろう。 (えっと……お爺ちゃんお爺ちゃん……髭を生やして……いや、昔のお爺ちゃんって怖そうだしお婆ちゃんでもいいよね……マツコさん怒るかな……) 「どう? ぼんやりでいいからイメージし続けるのよ」 「は、はい……」 (やっぱりお婆ちゃんだよね……髪は白髪のお団子で……眼鏡は瓶底かな……服は……えっと……まあ裸でいいか) 「うん、がんばったわね……視えてきた。あなたのひいひいひいお爺ちゃんですって」  お婆ちゃんは? 「……あ、はい。よかったです」  まあ、そんなものなのだろう。  霊視なんてあくまでもパフォーマンスであり、メインは人生相談なのだと肝に銘じてはいた。  だが、それでもやはり残念な気持ちになってしまう。 「じゃあ、ちょっとお爺ちゃんに話を聞いてみるからね」  マツコさんは私の斜め後ろに座ると、うんうんと頷きながら会話らしきことを始めた。 「まあそうなの……それは可哀想ね……うん、わかったわ。お爺ちゃんも気苦労が絶えないわね……ええ、カオルちゃんにもお願いしてみる」  耳元で三文芝居が始まり、さらに待つこと数分――マツコさんがゆっくりと立ち上がり深くため息をついた。 「カオルちゃんお待たせ。お爺ちゃんからいろいろなお話が聞けたわよ」  今から王道パターンに入るのだろうが、私にはもう先程のような高揚感は無い。  あるのは、ただただ茶番に突き合わされているという冷めた気持ちのみ。  どうせこのあと、ご先祖様に聞いたとか言いながら誰にでも当てはまりそうなことを延々と話すのだろう。  アタッテマス! スゴイデスネ! と私に言わせたら勝ち。  最後に人生相談をして終了。  ここまでが私の考える霊能商売だ。  こんな茶番でお金を取られることも、一時とはいえ彼女に心を許してしまったことも無性に悔しくなってきた。  おそらく普通の人は、こういう演出の過程も結果も要領よく受け止められるのだろう。  だが、あいにく私は不器用で、生真面目で、融通が利かなくて、口から生まれてきたと言われ続けて生きてきたのだ。  霊が存在する証拠を出せない以上、私は霊視を認めない。  ……メンドクサイ女の意地を見せてやる。 「お爺ちゃんね、お墓参りに来てもらえないからアナタを守る力が出ないんですって。長いことお参りに行ってないでしょ?」 「いえ、先月母と行ったばっかりです」  予想外の返事だったのか、しばしの沈黙が訪れる。 「え、本当? おかしいな……お爺ちゃんが嘘を言うとは思えないし……」  さあ、どう出る霊媒師。 「うーん、そっかそっか……ちなみに、ちゃんとお爺ちゃんの顔を思い浮かべながら手を合わせた?」 「いえ、そこまでは……ひいひいひいお爺ちゃんの顔なんて知らないですし……」 「それよ! カオルちゃんの想いが届かなかったから来てくれたことに気付けなかったんだわ。漫然と手を合わせるだけじゃなくて、心を込めてお参りしないとダメよ?」 「あ、はい……すみません」  なぜ私が謝るのだ。 「それとね、やっぱり前のお仕事で辛い思いをしたのも原因みたい。カオルちゃん人前で話すのあんまり得意じゃないでしょ」 「そんなことないですよ。口は達者なほうだと思います」  多人数相手だとまったく話せなくなるが、一対一ならまだ話せるほうだ。  嘘は言ってないと思う。 「カオルちゃん自身はそう思い込んでるようだけど、心の奥では人付き合いにだいぶストレスを感じてるみたい。いつも無理してるってお爺ちゃん言ってるわ」 「それはみんなそうなんじゃないですか?」 「カオルちゃんの場合は特にね。物事を考えすぎたり、グレーゾーンが許せなくて白黒つけたがるところがあるでしょ?」  よく知ってるじゃないか。  まさに今だ。 「……どうですかね。私はあまり白黒にこだわりが無いほうだと思います」  申し訳ないとは思ったが、素直に肯定するのが悔しくてつい嘘をついてしまった。 「自分ではそう思うでしょ? でもお爺ちゃんは、結構難しいところがある子だって言ってるわ。ほら、今もうんうん頷いてる」  お爺ちゃんの言葉ってことにしたらなんでもありだな。  私の主張がまったく通らない。 「まずはお墓参りをして、それから温泉にでも入って前のお仕事のことは忘れちゃいなさい。邪気が無くなればまた歩き出せるから」 「はい、わかりました。それで……あの、お爺ちゃんとお話できるんですよね? こんな体験滅多にできないので私もお話をしてみたいんですけど、通訳をお願いできますか?」  不躾なお願いなのは重々承知している。  しかし、私からも仕掛けなければマツコさんのターンは終わらない。 「うーん……そうねえ……」  自身に向けられた猜疑心に気付いて嫌な顔をするかと思っていたが、マツコさんは目を細めて不敵な笑みを浮かべた。 「もちろんいいわよ」 受けて立つ、ということだろう。 「普通のお客様にはこんなことしてないから……特別サービスよ?」 「ありがとうございます」 「……あと、お爺ちゃんもお年を召してらっしゃるし、ゆっくりとしか喋れないから」 「はい、大丈夫です」  シンキングタイムを与えないほど私も鬼ではない。 「最後に一つ。ご先祖様は目上の存在だから職務質問みたいなことはダメよ? いきなり呼び出しておいて失礼だって怒られちゃう」 「……もちろんです」  住所氏名年齢など、職務質問する気満々だったが仕方ない。  正解が決まっている質問には答えようがないだろうしな。  それでは、霊媒師の(力)を見せてもらおうか。 「お爺ちゃん、いつもお世話になってます。お爺ちゃんのことをもっと知りたいので教えてください」  万が一の本人登場に備え、いちおうはマツコさんが先程から話しかけていた空間に挨拶しておく。 「それじゃあまず……お爺ちゃんはいつから私の中にいるんですか?」 「…………カオルちゃんが生まれた時からだって」 「それまではどこにいたんですか?」 「…………お母さんの中にいたそうよ」  まあ無難な回答だ。  マツコさんは涼しい顔をしている。 「お爺ちゃんが生きていたのは何年くらい前なんですか?」 「……お爺ちゃん覚えてる? あら、そうなの…………幕末から明治にかけて活躍されたそうよ。文明開化でいろいろなものが変わっていったんですって」 「ぶんめい……かいか? それはすごいですね。奥さんはどんな人だったんですか?」 「…………すごく気立ての良い人ですって。でも、お酒を飲むと人が変わるみたい」  これしきの尋問は慣れていると言わんばかりに、隙あらば話を盛ってくるマツコさん。  文明開化がどんな事件だったのかは覚えていないが、負けるわけにはいかない。 「お爺ちゃんもお酒は好きなんですか?」 「大好きよ」  通訳を介しているとは思えないほどの即答。 「どんなお酒が好きですか?」 「日本酒とワインが好きだけど最近は……じゃなくて晩年は焼酎も飲んでたみたい」  幕末にワインなんてあったっけ?  「焼酎は芋ですか? 麦ですか?」 「断然芋よ! って……お爺ちゃんが言ってる」 「芋焼酎にオススメのおつまみってなんですか?」 「アンタそりゃもう味噌キュウ……ってお爺ちゃんが言ってる」  見えたぞ。  奴の弱点は食べ物とお酒だ。  ここは一気に攻めるしかない。 「今一番食べたいものは!?」 「カ、カレーライス!」 「嫌いな食べ物は!?」 「ピーマン!」  子供か! 「好きなおやつは!?」 「タピオ……かりんとう!」 「やっぱり名前を教えてください!」  私の不意打ちに驚いたのか、マツコさんはあわあわとしながら私とお爺ちゃんの空間を交互に見たあと、大きく溜息をついた。 「……先祖の名前くらい自分で調べろって怒って帰っちゃった……残念だけどここまでね」  汗ばんだ顔をハンカチで拭きながらマツコさんは椅子に座る。 「久しぶりにたくさん力を使ったから……ふぅ、疲れた」 「なんかすみません……私もちょっと熱くなっちゃって……」 「気が済んだならいいのよ……ふぅ……それじゃあ、途中になってたけど……最後にお爺ちゃんの話してたことを伝えるわね」  マツコさんは引き出しから立派な装飾の施された厚紙と筆ペンを取り出すと、すらすらと漢字を書き始めた。 「お爺ちゃんの言ってたことを一言で纏めると……これね。着眼大局、着手小局」 「どんな意味ですか?」 「言葉の意味は置いといて、カオルちゃんの場合で言うと……五年後とか十年後にどんな自分になっていたいかを考えて、その姿を目標にするの。仕事でも恋愛でもいろいろあるでしょ? これが着眼大局」  大局を見よ、というやつか。  ビジネスマン向けの本に書いてありそうな言葉だ。 「それでね、着手小局が大事よ。目標となる自分に近づくために小さいことからでも手を着けて、コツコツと積み重ねていくの。玉の輿なんて無いんだから、カオルちゃんはまず仕事を決めてお金を稼がないとね」  玉の輿の可能性を否定する根拠が不明だが、独り身の私には反論できない。 「仕事探さないとですよね……頑張ります」 「カオルちゃんは考えすぎて行動に移せないタイプだってお爺ちゃん言ってたけど、明日とか来週から頑張るっていうんじゃダメよ? まず今日頑張るの。今日という日を頑張れたなら、明日はご褒美で自分を甘やかしていいから」  まことに耳が痛い。  彼女のサクセスストーリーを母から聞いていたせいで嫌でも響いてしまう。 「さあ……これでおしまいよ。三十分、早かったでしょう?」 「そうですね、あっという間でした」  私の返事に満足そうな笑顔を見せてマツコさんは立ち上がり、背筋を伸ばす。 「さてと……今日はもう予約も無いし、このままお店を閉めて飲みに行こうかしら」 「……芋ですか?」 「もちろん……ってこともないけど……お爺ちゃんの影響かしらね」 「私はタピオカミルクティーでも買って帰ります」 「あら、私も好き……」  言いかけて、照れ臭そうに微笑むマツコさんがとても可愛らしく見えた。                   † † †    帰宅した私に、衝撃の事実が待っていた。  ごく普通の家庭である我が家に家系図なんてものがあったことにも驚きだが、それを見ている最中に母の発した言葉はそれ以上だった。 「そういえばマツコも昔見てたわねー」  母の話によると、3年ほど前に母は友人枠で無料体験をさせてもらったらしい。  その際にご先祖様の気の流れだとかを調べるために、うちの家系図をコピーしていたというのだ。  顧客ファイルとして丁重に扱うと言っていたらしいので、まだ保存はしてあるだろう。  それならば、ご先祖様の名前を言い当てるという芸当を見せることもできたはずなのに、なぜ……。 「ところでカオル、マツコどうだった? 相変わらず胡散臭かった?」 「……うん。でも、なんか話しやすかったし……可愛い人だって思った」 「可愛い?」  ないないと言いながら母は手を横に振った。 「あの子アンタと一緒で、昔からああ言えばこう言うってタイプでね。誰に何言われても言い訳ばっかしててさ。しまいには相手が謝ってるの」  その言葉にお墓参りのやり取りを思い出していると、母が何かを思い出したかのように笑いだす。 「それに大学のときもね、言い訳ばっかりするなって先生に怒られたとき、あの子『私は自分の減らず口にプライドを持っています』なんて言うのよ。ホント変わってるでしょ」  ……ああ、なるほど。  マツコさんが私に見せたかったものは霊能力ではなく、自身の生き様だったのだ。  事前情報を持ち合わせていてなお、それを利用せず私の土俵に上がってくれた。  だからこそ、名前を聞いてしまった私にあえて正解を答えず、お爺ちゃんが帰ったという(言い訳)で勝負を終了させたのだ。 「お母さん、ちょっと本屋に行ってくる」 「何買いに行くのよ?」 「就職情報誌……と占いの本」  未成熟のまま成人してしまった私にとって、今日は将来の夢と、尊敬できる人が同時に見つかるという記念すべき日となった。  明日と言わず今日、今すぐ行動に移すべきだろう。 「うわ、出た……絶対に三日坊主で終わるやつね」  私もそんな気がする。  でも、そう決めつけて、今までのように失敗を恐れて、挑戦すらしない人生では何も成すことはできないと思う。 「お母さん、何事もまずやってみることが大事なの……ってお爺ちゃんが言ってた」 「……お爺ちゃん?」  長い階段を登ることになるだろう。  でも、挑戦しなかった過去よりも、挑戦して失敗した過去のほうが絶対に誇れるはずだ。 「それに……私も減らず口には自信あるから」  母にそう言い残し、私は家を出た。  そして、とりあえずの予行練習がてら、夜空に向かって口に出してみる。 「それじゃ、ご先祖様を呼んでくださる?」
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