夢現

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夢現

 どこを見渡しても死体だらけ。  ひび割れた地面の所々から水が湧き出し、辺り一面に靴底を湿らす程度の水溜まりが広がっている。  不自然な傾斜に沿って、水は心地の良い音を発しながら流れていく。  足元を通り過ぎていくその水に、赤色が混じっていなければどんなに安らげた光景だったことか。  ペリドは拳を握りしめ、絶えず流れる水流から視線を逸らし、無理やりに天を仰ぐ。  一体、どれだけの戦士が命を落としたのだろうか。  どれだけの戦友が息絶えたのだろうか。  まだ自身の足で立っているのは、カルサとソレース。  そしてルビー。  トルマは力尽きる寸前だ。  皆を治療して回っていたモルガは、誰よりも疲弊してしまっている。  だが、モルガはまだその足をもつれさせながら移動を続けている。  大粒の涙を流しながら、幼馴染であるハウラの亡骸を慎重に引きずっていた。  彼女の行動の意図をその場の誰もが分かっていた。  だがしばらくの間、ペリドもカルサも、その光景をぼんやりと眺めていた。  ハウラを運ぶモルガの先には、彼らの師であるセドニーがいる。  もう決して目を開けることはなくなったセドニーをボヤける視界に捉え続けて、モルガは着実に歩を進める。  親よりも時間を共にしてきたセドニーは、モルガとハウラにとって師匠であると同時に、背中を預け合える戦友でもあった。  彼の死はハウラを酷く動揺させ、神術の腕を鈍らせた。  セドニーの亡骸を残虐的に弄ぶ精霊達から、彼の体を奪い取るため、ハウラはかなりの無茶をした。  ハウラは負けた。  既に息絶えたセドニーを庇って、ハウラは死んだ。  その後も、精霊達の非情な遊びは暫く続いていた。  ハウラの体を引きずっていたモルガが、地面の窪みに足を取られて膝を突く。  その音にハッとなったペリドは、ようやくモルガの元へと駆け出した。 「モルガ、大丈夫か?」  酷く顔色の悪いモルガに、無意味な言葉を投げ掛ける。 「一緒に……みんな、一緒の、ところに……」  焦点の合っていない目をしたモルガが、うわ言のように呟く。 「ああ。そうだな」  ペリドはハウラを背に担ぎ、そしてモルガを脇に抱えた。  まだそんな力が自分に残っていることに驚き、ぎっと奥歯を噛み締めるペリド。  彼は後悔していた。  もう死んでしまったセドニーの体を、必死に取り返そうと躍起になっているハウラを止められなかった。  普段のハウラは冷静沈着。  勝率を一番に考え、誰よりも心を鎮めるのが得意だった。  そんな彼が、自分の命を投げ打ってまで、セドニーを取り返そうとした。  セドニーの死は覆らない。  どうにもならない。  無意味な行為だ。  そうは思えど、止められなかった。  止める言葉が出てこなかった。  ただ見ていた。  目の前の敵に、手一杯だったわけではなかった。  余裕はあった。  それなのに、"死んでいる者に構うな"と……。  たったその一言が言えなかった。  その一言で、もしかしたら何かが変わっていたかもしれないのに……。 「ほら、モルガ。これで、みんな一緒だぞ」  ボロボロになったセドニーの亡骸の真横に、ハウラを横たわらせた。  ついで、モルガをそっとその傍らに降ろす。 「ありがとう、ペリド」  モルガは消え入りそうな声で礼を言った。 「……」  ペリドは、その礼に対して返事をすることはできなかった。 「カルサ?」  不意に、ペリドの耳にソレースの呟きが届いた。 「……どうした?」  ソレースの隣で、カルサが苦々しい表情を浮かべ、爪が食い込むほどに両手を握り合わせいる。  神秘の力を引き出そうとしているように、ペリドには見えた。  だが、カルサには神秘を扱う技術はないはず。  その共通の前提があるため、ペリドもソレースも困惑に眉を歪めている。  この惨状に居てもたってもいられなくなり、今から鍛錬でもするつもりなのだろうか。  そんなことをぼんやりと考えながら、ペリドはカルサの元へ足を運んだ。  その時だ。  握り合わされたカルサの手のひらの中から、眩い緑の光が溢れ出した。  その光は時折液体のように湧き出し、ボタボタと地面に落ちていく。  神秘を発動させた術ではなく、神秘そのものの形を見せられていると感じたペリドは、息をするのも忘れて食い入るようにその光を見つめる。  近くに立っていたソレースも、疲れ果てて今にも意識を失ってしまいそうだったトルマやルビーも、カルサの手の中から放たれる光に目が釘付けになっている。 「な、なんだよ……それ」  緊張した面持ちで、カルサはその手のひらを開いていく。 「命の、根源」  大真面目な顔でカルサは言う。 「命の根源?」  ソレースが一歩後退り、怪訝な表情で聞き返す。 「全部、思い出した」  カルサはその目から涙を溢れさせる。  ペリドもソレースもぎょっと目を向き、驚いた。  カルサの涙を見たのは初めてだった。  それからカルサは無言で器の形に合わせた手のひらを掲げた。  その直後、光の粒たちが意志を持っているかのように宙へと散っていった。  その光は横たわる負傷者や死者の元へふわふわとたどり着き、地面に落ちた雪が溶けていくかのように体の中へ染み込んでいった。  すると、光を取り込んだ戦士たちの体がじんわりと淡く発光し出した。  その光が徐々に消えていく頃には、戦士は皆その目をゆっくりと開き始めていた。  負傷者の傷はあらかた癒え、死んでいた仲間は辛うじて意識を取り戻す。 「う、うう……」  ハウラが小さく呻き声を上げ、疲れも忘れてモルガは飛び起きる。 「ハ、ハウラ?」 「モル、ガ……」  まだ意識ははっきりしないものの、ハウラは確かに言葉を発した。  その光景を見て、ペリドもソレースも言葉を失う。  しかし、徐々に目の前の奇跡を受け入れ始め、戦士たちは喜びの声をあげる。  水浸しの荒野に活気が溢れてきた頃、カルサが突然その場に倒れ込んでしまった。  びしゃりと飛沫があがり、ようやくペリドの硬直が解ける。 「カルサ!」  ペリドを含める、まだ活力のある者はカルサに走り寄っていく。  カルサは険しい顔で荒く呼吸を繰り返し、額には脂汗を流している。 「ど、どうすればいいんだよ……」 「ていうか、一体何が起こってんのよ」  ペリドとルビーが困惑した声でそう洩らす。  失ったと絶望した戦友たちに生気が戻った喜びと、近しい存在であるカルサの不調への不安が複雑に絡み合い、何もできなくなる。  ただ、苦しげなカルサの様子を黙って見ている時間が続いた。  だが、突如地面を流れる水の表面がさざめいたかと思えば、いつの間にか、少し離れたところに見知らぬ少女が立っていたのだ。 「だ、誰?」  長い髪。白い肌。  小柄で華奢なその体は、僅かに光を帯びている。  その儚さと透明感に、もしや自然の回し者ではないかと、誰もが疑い始め、見つめるその目に殺気を込める。  だが、その多大な殺気など気にも留めず、少女はじっとカルサを見下ろしていた。  少女は何も言葉を発さないまま、裸足の足を一歩前進させた。  足が着いたその場から、水が急速に引いていき、無数の水滴となってゆっくりと舞い上がる。  まるで雨粒が、空中でその場に留まっているかのよう。  少女はカルサの元へ真っ直ぐに歩いていくと、その傍らにしゃがみ込んだ。  カルサは霞んだ瞳でうなされながらも彼女を見上げる。 「ごめん」  突如、カルサは大粒の涙を流し、掠れた声を零した。 「ごめん。ごめん」  謝り続けるカルサに、少女は小首を傾げる。 「俺は、お前の苦しみを忘れ、お前の痛みを忘れ、お前の、存在までも、忘れていた」  カルサは顔を覆い、懺悔でもするかのように言葉を紡ぐ。 「守ると、誓ったのに……俺の、全てを賭けてでも、必ず守ると誓ったのに……。俺は、その誓いを忘れて、こんな立場になってしまった……」  各国の戦士軍を取りまとめる最高司令役であるカルサ。  彼は今、戦友たちの前であるにも関わらず、その立場を悔いているような発言をする。 「ごめん。ごめん。今の俺には、民を守る義務がある。戦士を守る義務がある。俺はそれを、誇らしく思う。名誉にも思う。今の俺は、俺が俺であるために必要であったことを、全てやり遂げた姿だ。でも……」  カルサは顔を覆っていた手を少しだけ少女の方へ伸ばす。 「でも、悔しい。お前のためだけの、俺でいたかった。お前のためだけに存在していたかった。お前のために、全てを投げ出せる俺でいたかった。最高司令役なんて、なるべきじゃなかった」  弱々しい吐息を交えて話すカルサを見て、ペリドは胸が締め付けられる。  こんなにも感情を露わにしているカルサを、初めて目にする。 「ポフィラ……許してくれ。お前の痛みを、一緒に越えてやれなくて……。お前以外に、守るものを作って……。天秤にかける未来を作って……本当に、本当に、ごめん……。約束を破って、ごめん……」  縋るようにそう言って、カルサは一度、その両目を閉じた。  しんと辺りが静まり返る。  ポフィラと呼ばれた少女は何も言葉を返そうとせず、周りの戦士たちの気まずさを煽る。 「……謝るのは、私の方だよ」  ポフィラはするりとカルサの頬を撫でて囁いた。 「カルサの誓い、心の底から嬉しかったよ。でも、もうそれは終わりにしよう。私も、カルサが誇らしいから」  にこりと笑ったポフィラに、カルサは瞳を揺らして目を見開いた。 「俺が……誇らしい?」 「当たり前だよ。カルサがどんな立場になっても、どんな姿になっても、カルサは私の、自慢の幼馴染だよ」  空中に留まる水滴たちが、雲の隙間から差し込む太陽の光をキラキラと反射させる。 「は、はは……」  カルサが、尚も涙を流しながら笑う。 「ああ……ほんと、いい夢だ……」  そう言って、カルサは意識を手放した。  皆、例外なく呆気に取られた顔をした。  当然ポフィラもその内の一人で、開いた口が塞がらない。  舞い上がっていた水滴が、ざざざと一気に地面へと落ちた。 「な、なんだ? カルサの奴」  安心した顔で寝息を立てているカルサを見下ろして、ソレースは拍子抜けした声を漏らす。 「あんた……一体、何者だ?」  ペリドは無防備なカルサの姿に驚きを隠せず、ただポフィラに短く問う。 「……最高司令役?」  だが、ポフィラはペリドの質問に答えることなく小さく呟いた。 「びっくりしちゃったよ。なりたくても、なれるもんじゃないでしょ?」  ようやく顔を上げたかと思えば、困ったような笑みを浮かべてポフィラは言った。 「え、ああ……まあ、そうだな」  ペリドはポフィラの砕けた雰囲気に圧倒され、たじたじになりながらも答える。 「貴方もカルサのこと、凄いと思う?」  弾ける笑顔で、ポフィラがペリドに言った。 「もちろん」  戸惑いは捨て去り、ペリドは力強く頷いた。 「良かった」  そんな彼を見て、ポフィラは満足そうに微笑む。  そして、カルサの髪を愛おしげに梳く。 「カルサ、ごめんね。あなたの記憶は、兄さんがずっと持っていたんだよ」  そう言うと、ポフィラは水に濡れた紙のようにボロボロと崩れ、風に乗って消え去ってしまった。 「な!?」  その光景を目にしたペリドたちは、カルサに彼女が消えてしまった事実を、どのように説明すればいいのか、ただ考えるばかりであった。  
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