呪われた腕

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呪われた腕

 「カルサ。私を愛しているなら、今すぐこの場で私を殺して」  無数の戦士が血を流して倒れている惨状の中に、突然舞い降りた女神は、連合軍の最高司令役に刀を向けてそう言った。  女神は覚悟を決めた凛々しい顔をしており、刀を握る細腕は全く震えが見えない。  対する切っ先を向けられたカルサも、狼狽えることなく冷静な顔つきで彼女の睨みつける視線を受け止めている。  そんな二人を、ペリドは固唾を呑んで見守っていた。 「君を、殺す? そんなことが、俺にできるわけがないだろ」  カルサが淡々と女神に返す。 「じゃあ、せめて腕を切り落として」  奇妙な代案に、ペリドは困惑の表情をカルサに向ける。  この地に舞い降りた女神は、死にかけた戦士たちを一瞬にして復活させた。  踊るようにくるりと一度ステップを踏み、ワンピースの裾をふわりと広げた。  途端に空気が輝き出して、血なまぐさい臭いが一気に散っていった。  澄んだ空気が荒野を満たしていくのを肌で感じ取った。  その涼しいとも温かいとも思える空気は、戦士たちの出血を止め、傷を塞ぎ、生気を取り戻させた。  意識のある者は皆、目撃した奇跡に歓喜し、仲間の復活に涙した。  だが、感謝の視線が女神に一斉に向けられたその直後、地面に落ちていた大太刀を女神は素早く拾い上げ、カルサに切っ先を向けたのだ。  そして、先程の台詞が吐き出されたという訳だ。  刃を向けておきながら、自分を殺せと言い放つ女神。  戦士の命を救った彼女は感謝されるべき存在であり、罰される理由などどこにも見当たらないだろうに。  意図が全く掴めない状況。  存在自体も謎めいている彼女の、理解不能な言動は、戦士たちを驚かせるあまり一切の身動きを封じさせた。 「お願いカルサ。この腕、言うことを聞かないの」  だが、その一言でペリドは彼女の置かれている状況を少しだけ悟ってしまった。  詳しい経緯なんてものは全くの皆無のままであるが、彼女は正気で、且つ覚悟をもって発言している。 「大丈夫。腕なんてすぐ生えてくるよ。私は……そういう化け物なんだから」 「ポフィラ、いい加減にしろ。君は―――」  カルサが言い終える前に、ポフィラと呼ばれた彼女が動いた。  鍛え抜かれた騎士のような鋭い剣さばきで、カルサに容赦なく切りかかる。  戦闘に長けているカルサは一太刀も浴びることなく身を交わし続けているが、その表情は苦しいものだった。  カルサにとって、ポフィラが特別な存在であることは、ペリドには容易に理解できた。  カルサがポフィラを見つめるその眼差しは、愛する者へ向けるそれであることは疑いようがなかった。  その人物の腕を切り落とすなど、ましてや殺すなど、いくら冷酷な決断をいくつも下してきたカルサとてできるわけがない。  いや、実を言うと、いざとなればカルサは家族も恋人も眉一つ動かさずに犠牲にできると、親友であるペリドは考えていた。  全世界の命をその身に背負っている彼は、正義のためにいかなる宝でも差し出せると、そう思っていた。  だが現実は違うらしい。  あんなカルサの瞳は初めて見た。 「カルサ! 時間の無駄だよ! 早く腕を切り落として!」  一度攻撃をやめ、しびれを切らしたポフィラが叫ぶ。 「断る。二度と君を傷つけないと誓った」 「今はそんなこと言ってる場合じゃない! このままじゃあなたが!」  ポフィラが再び切りかかる。 「俺は大丈夫だ。君が救ってくれるだろう?」 「私は! あなたの傷付いた姿なんて見たくない!」 「そうか。君も同じことを思ってくれて嬉しい」  こんなに饒舌なカルサは初めてだ。  皆、目の前で繰り広げられている華麗な戦闘と、普段からは想像できない最高指令役の姿に驚き、体を硬直させている。 「ねえ、お願いカルサ。分かって」  遂に懇願するような表情でポフィラが言った。  初めの時と同じように、真っ直ぐに腕を伸ばし、切っ先をカルサに向けている。  彼女の視線を、カルサが冷静さを取り戻した面持ちで受け止めている。 「もう、この刀をあなたに向けていたくない」 「……分かった」  カルサは構えていた拳を降ろし、すっと背筋を伸ばしてポフィラを力強く見つめ返す。  そんなカルサを見て、ポフィラは安心したように微笑みを浮かべ両目を閉じた。  刀を握る手から、少しだけ力が抜けたように見えた。  躊躇いのない足取りで、カルサがポフィラへと近づいていく。  まさか、本当にカルサはあの子の腕を切る気なのか?  ペリドはざわざわと胸騒ぎを感じ取り、荒くなる息を抑える。  二人の距離が縮まっていき、不安で仕方がなかったが、二人の間に割って入るなんて、そんな野暮なことはできなかった。  向けられた切っ先を前に、カルサが安らかな表情をして両手を広げた。  そして、その刃ごと、正面からポフィラを抱きすくめるように最後の一歩を踏み出した。 「え……」  刃がカルサの体を突き抜け、背中から伸びる切っ先は血に濡れていた。  カルサはそんなことなど意に介すことなく、更に力を強めてポフィラを抱きしめた。 「な……な……」  ポフィラの体が、小刻みに震えている。  湿った咳と共に、カルサの口から大量の血液が吐き出された。 「な、何、してるの……カルサ……」 「……抱きしめたくなった。だから……こうして……」  カルサはそれ以上何も言わなくなった。  段々とカルサの体の軸が崩れていき、やがてポフィラと共に地面へと倒れ込んでしまった。  下敷きになったポフィラは、ぼうっと遠い目で空を見つめ、カルサの髪をそっと撫でて言う。 「……兄さん……これが本当に、正解なの?」  大きな瞳から涙を流し続ける彼女を、ペリドは近寄ることもできずにただ眺め続けたのだった。
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