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頑張って
「……頑張れよ、ポフィラ」
眩い光を背に、その人は呟いた。
ポフィラが幽閉されている扉を、今まさに閉めようとしている彼の声は、本当に、心の底から申し訳なさそうな響きをしていた。
「うん。大丈夫。いってらっしゃい、兄様」
ポフィラはにっこりと微笑んで、素直な気持ちを口にした。
そうすれば、真っ黒な影になっている彼の表情に、苦しみの感情が広がっていくのが分かる。
扉は控えめな速さで閉められて、途端に闇に包まれた。
閉じ込められ、これから自分の身に降り掛かる凄惨たる理不尽な仕打ちを知っていながら、ポフィラは置いていかれたことになんの不満も抱かなかった。
ポフィラは、兄である彼がどうして苦しんでいるのかを知っている。
ポフィラをこのような闇の中に閉じ込めたのは、他ならぬ彼女の兄だった。
神秘の力に満ち溢れたこの真っ暗な空間は、ただひたすらに、ポフィラの力を強めるためだけに造られた。
ポフィラの兄は、近い未来に勃発する人類と自然との激しい戦争のことも、その戦い故の惨状も、全て知っていた。
そして、滅亡的とも言えるその光景に、希望の光を差し込むことができるのは、ポフィラしかいないことも、知っていた。
ポフィラは兄を哀れに思っている。
未来を知ってしまったが故に、常に苦渋の決断を強いられている。
仕方ないと分かっているから、ポフィラに手を差し伸べることもできない。
だからせめて、彼は励ましの言葉を掛けることが自分の義務であると感じている。
しかし、彼が『頑張れ』という言葉を、本当は掛けたくないことも、ポフィラは勘付いている。
これ以上何を頑張れっていうの?
だとか。
あなたには私がは頑張ってないように見えるってこと?
だとか。
幾度となくそんな言葉を返されてきた兄の姿を、ポフィラは見てきた。
だけれど、ポフィラはそんな人間たちを見下していた。
そんなことを考え始めた人間は、少し、いや相当、疲れてしまっているのだと、思えてならない。
そんな輩がはびこるこの世界を、どうして死に物狂いで救わなくてはならないのか。
ポフィラは一瞬過った考えを振り払うために両頬を叩く。
だが、一度湧き出た考えや感情は、そう簡単には止められない。
兄の心に傷を付けていった人間と、同じような思考を持つ大勢の生き物なんて、滅んでしまえばいいとさえ思えてくる。
神秘の使い手を妬み、不公平だと神を恨み、自然への感謝を忘れた人間たちなんて、この世からいなくなればいい。
しかし、大切な妹を犠牲にしてまで、果たさなくてはならない使命が、兄にはあるのだろうと、そう思い、ポフィラは自分を落ち着かせる。
それに、根柢の部分では、人類という壮大なカテゴリーの為ではなく、最愛の妹である自分ただ一人の為であることも、ポフィラは知っている。
だから、兄から放たれるどんな言葉も、全て素直な心で受け入れ、人々への博愛の精神を装ったまま、またいつか訪れた兄に笑いかけることができる。
『頑張れよ、ポフィラ』
脳内で再生される兄の声に希望を感じる。
あの申し訳がなさそうな苦しい顔は、今、自分が身を削って彼のために耐えているからゆえに見ることができるのだ。
『頑張れ』という言葉を、軽く流せなくなったらお終いだと、そう自分に言い聞かせて、今日もポフィラは死と生を繰り返す。
いつか訪れる史上最悪の日に備えて。
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