忘却

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忘却

 波打ち際に佇むハウラは、砂浜に横たわる戦士たちを眺めている。  ハウラは呆然とした表情で、そのあまりの惨状に、涙を流すこともできずに、静かに呼吸を繰り返していた。    ハウラのすぐ横には、彼の血縁者であるモルガがうつ伏せで倒れている。  その顔に血の気はない。  そして呼吸をしていない。 「ハウラ」  後ろから、最高司令役であるカルサが呼び掛ける。 「なんだ」  ハウラは力なく返事をし、振り返る。 「ペリドとソレースが、こちらへ向かっている」 「そうか。あいつらは無事なんだな」  ハウラがそう言うと、カルサは感情の見えないその目をそっと逸らす。  ハウラはゆっくりと海岸を見渡した。  おびただしい数の死体が、砂浜を埋めつくしている。  凄まじいはずの血の匂いに、鼻はすっかり慣れてしまっていた。  ハウラは強く握り締められたカルサの拳に目をやった。 「なあ」 「なんだ?」 「カルサ。お前は、何のために戦っているんだ?」  カルサは神秘の才に恵まれることはなかった。  にも関わらず、大地に見放されたこの世界を守るために結成されたこの壮大な連合軍の、最高司令役として君臨している。  カルサの力は隣国の戦士であるハウラも認めている。  だが、ハウラは疑問に思う。  人類の頂点として大地と立ち向かう人間は、何を考え、何のためを思って、この惨劇の中を戦い続けることができているのだろうか、と。 「この世界の平穏を取り戻すために決まってる」  微塵も感情も見せないこの男が、一体誰のために、この世界を守り抜こうとしているのか、と。 「なんでそんなことを聞くんだ、ハウラ」 「もっと、個人的な理由はないのか?」 「個人的な?」 「命をかけるには、その理由は大きすぎる」  カルサは珍しく驚いたように眉をぴくりと動かした。 「どうした、ハウラ。どの戦士も、同じように平穏を取り戻したいと考えているはずだろう?」 「ああ。だが、多くは自分と、愛する家族、そして恋人の平穏を、取り戻すために戦っている。世界じゃない」 「……何が言いたい」  カルサの視線が鋭くなる。 「お前は、誰のために戦っているんだ」  ハウラはモルガの遺体を見つめながら、呟くようにカルサに問うた。 「誰の、ために?」  カルサの闘志は、一体、誰を活力として燃えているのか。 「仲間のため、国民のために、決まってるだろう」 (いや、それだけでは無いはずだ)  ハウラは思った。  カルサは、最高司令役に選ばれるほどの実力者であり、そしてこれまで立派に責務を全うしてきた人間だ。  仲間や国民が大切な存在であると言うカルサの言葉を、疑うつもりはハウラにはない。  だが、それが世界を救う最大の理由であるとは、到底思えないのだ。  余りにも、関心が欠落しているように感じるのだ。 「誰も、恋人のためだと言ったところで、責めるやつはいないんだぞ」  ハウラは、それこそ有り得ない話だと思いながら、呟く。 「俺は女に興味はないぞ」 「そうらしいな」 「恋人なんてものもいない」 「ああ。だろうな」 「特別大切な相手なんて、最高司令役には必要ない。この地球にいる全ての人間が、守るべきかけがえの無い存在だ」   「……そうか」 (思い過ごしだっただろうか)  こんな無惨な光景を目の当たりにし、尚もカルサの揺ぐことのない信念が窺えるのは、どうしても守り抜きたい、大切で、特別な存在があるからだと、そう考えていた。  だがそうではなく、カルサの意志が余りにも壮大すぎて、自分には理解が及ばなかっただけなのかもしれないと、ハウラは自分を惨めに感じ始める。 「……同情してるのか」 「何故」 「今日は、よく喋る」  いつも無口なカルサが、今日はいつになく会話を滞りなくこなしている。 「確かに……何だか、変な感じだ」  カルサはモルガに一瞬視線を落とした後、ふいと山脈の方へ顔を向けた。  ペリドとソレースが近付いてきている気配を、ハウラは感じ取る。  隊は、壊滅したのだろう。  ペリドとソレースの生体反応しか、ハウラには感じられない。  だが、ハウラたちの元へ到着したペリドの腕には、見知らぬ少女が抱えられていた。 「カルサ! ハウラ! 無事だったか!」  ペリドにそんな言葉を掛けられるよりも前に、カルサが息を引き込んで硬直した。 「ペリド。一体、その子は……」  カルサの様子にいち早く気が付いたハウラが、彼の様子に驚きを隠せないままペリドに問いかけた。 「分からない。実は急に現れて、たちまち怪我人を治療し始めたんだ。中には息を吹き返した者までいた」  ペリドが困惑した状態のまま話し出す。 「負傷者は今、中央で休ませているんだが……」  ソレースはそう言いながら、ちらりとペリドの抱える少女を見やる。  少女の顔色は、モルガと全く同じだった。 「突然この子、倒れちまって、他と同じように中央へ運ぼうとしたんだが、正体が分からねえし、それに……」  今度はペリドが言い、カルサを見る。 「お前の名前を口にしてたんだ。だから連れてきた」  眉間に皺を寄せ、ペリドは目を見開いたまま固まっているカルサへとそう告げた。 「カルサ。この子一体なんなんだ? 素晴らしい神秘の術だったが、余りに人間離れしていたぞ」  ペリドに深刻な目で見つめられるも、一向にカルサは口を開かない。  そして、異変は直ぐに訪れた。 「な!?」  ペリドの腕でぐったりと手足を投げ出す少女の体が、淡い光を放ち、その輪郭を薄れさせていったのだ。 「ポフィラ!!」  突如、カルサがペリドへ迫る。  カルサの余りの剣幕に、ペリドは危うく少女を落としてしまいそうになった。  カルサの手によってペリドから引き離された少女は、段々と体を色を失いながら、砂浜の上へと横たえられた。 「行くな! ポフィラ!!」  カルサの悲痛な叫びが、ハウラやペリドの鼓膜を揺らす。 「行くな行くな行くな! 頼む! 置いていかないでくれ!」 「お、おい、カルサ?」  これまで見たことがない程に取り乱す親友の姿に、ペリドは青い顔をする。  カルサは目から大粒の涙を流しながら、少女の体をきつく抱きしめている。 「もう……もう十分、頑張ったじゃないか……。お前は、十分痛みを味わったじゃないか……」  震える涙声に、吐きそうなほど、ハウラは胸を締め付けられた。 「なんで……なんで、俺……お前を……忘れてたんだ……。どうして……」  ポフィラと呼ばれた少女の体は、すっかり透けてしまって、今にも見えなくなりそうだ。 「そう……そうだ。あいつだ。あいつが、俺を最高司令役にするために……。そうしないと、世界が救われないからって……。そうだ ……。そうだった……」  ブツブツと聞き取れない声量で、カルサは何かを言っている。 「カ、カルサ……」  ハウラがやっと声を掛けた時には、既にポフィラの体は消えてしまっていた。  少女の突然の消滅に、驚きを隠すことが出来ない。  普段誰からも頼りにされているカルサは、今は砂に突っ伏し、肩を震わせ泣いている。  いつもは空気を読めないソレースも、流石に口を噤んで状況を飲み込もうとしていた。 「……世界が大切じゃないわけじゃ……ないんだ」  波の音に同調する声で、不意にカルサが話し出す。 「世界は大切だ。守らなければならない。それなのに、俺は悔しさを拭えない」  絞り出すような声でらカルサは言う。 「悔しい。悔しくて、恐ろしい……。忘れてしまった自分が許せない。あいつよりも……優先しなくてはならないものを、あいつを忘れたまま作ってしまったことが、堪らなく悔しい」  カルサは拳を握り締める。 「忘れたくなんてなかった。世界の大勢の幸せなんてどうでも良くて、ポフィラさえ守れればそれで良かった。俺は、そう思っていた」  ぎりりと奥歯を噛み締める音が聞こえる。 「でもそれではこの惨事を回避できなかったんだろうな……。だからあの野郎は……俺の記憶を消したんだろうな」  カルサの声に、僅かな憎しみの色が混じる。  その荒んだ言葉が、カルサから吐き出されたとは信じ難かった。 「俺はポフィラが苦しんでいる時、そばにいてやれなかったどころか、思い出すことすらできなかった。何も知らないまま生きるくらいなら、同じ苦しみを一緒に味わわせて欲しかったのに……」  ペリドが、カルサの痛ましい姿に、堪えきれずに涙を流す。 「こんなにも大切だったのに……。何よりも優先していたかったのに……」  まるで、最高司令役になったことを、悔いているような物言いだったが、誰もカルサを責める気にはなれなかった。 「カルサ! あの子がどこに行っちまったのか、心当たりねえのかよ!」  突然そう叫び出したのはソレースだった。  ハウラは目を伏せ、唇を噛む。  ハウラの感知能力では、少女を生物として認識できなかった。  それはつまり、彼女の死を意味していた。  体を見つけたところで、カルサの心の傷を癒すことはできない。  ハウラと同じく、ペリドもそれに気付いていた。  ソレースの問い掛けにも、カルサは一向に顔を上げない。 「カルサ! あの子を探すぞ! まだ間に合うかもしれねえだろ!」  ハウラもソレースも、もちろんペリドでさえも、カルサの身にどのような悲劇が起こっているのか、全く把握することができていない。  ポフィラという少女が何者で、カルサとどのような関係なのか。  想像すらできない。  だが、カルサにとってポフィラこそが、大地との戦いを全うさせる原動力であることは、一目瞭然であった。 「カルサ」  ハウラが凛々しい目をカルサに向ける。 「お前は、誰が何と言おうと、お前がどう思おうと、どうしたって最高司令役だ。それは変わらない。諦めろ」 「ハウラ」  淡々とカルサに鋭い言葉を浴びせるハウラを、ペリドは遠慮がちに制する。  だが、ハウラは口を閉じるつもりは無い。 「立て。国民を守るのが、お前の約目だろ」 「……」  カルサは何も言わずにずっと俯いたままだ。 「おいハウラ。お前、そんな言い方すんじゃねえよ」  ソレースがハウラの肩を荒々しく掴む。 「こんな……こんな状況のカルサに、今すぐ戦えっていうのかよ」  ソレースが唸るように言う。  ハウラは鬱陶しそうに眉根を寄せた。  ハウラはソレースの腕を払い、いつの間にか波に晒されていたモルガの体を横抱きに持ち上げる。  そして、乾いた砂浜の上へと彼女を優しく寝かせ、再び口を開いた。 「あの娘も、国民だろ」 「……」 「守るべき存在だろ」 「……」 「いつまで項垂れているつもりだ。人間離れした神秘の使い手なのだろ? 死んでいるとは限らない」  ほぼ有り得ないだろうと思いつつ、そんな希望を口にしたのは、カルサを奮い立たせるためだけではない。  さっきまでモルガの死に、これ以上ないという程に打ちのめされ、心が冷えていく一方だったハウラであったが、ポフィラを思って泣き崩れるカルサの姿に、胸が熱くなる感覚を覚えていた。  それと同時に、この圧倒的に勝ち目のない戦いに、一筋の光が見えた気がした。  だから、ここでカルサが腐ってしまってはいけない。  ハウラはそう思った。 「カルサ。あの娘を探しに行くぞ。ソレースが珍しく瞬時に最善の案を捻り出したんだ。無下にしてくれるな」 「おい?」 「あっはは」  真面目な顔で言ったハウラにペリドが文句を言おうとしたが、ペリドが笑いながら止めに入った。  すると、やっとカルサが、ゆっくりとした動作で顔を上げた。  ハウラは満足気に口端を引き上げると、凛とした目をカルサに向け、手を差し伸べた。  既に涙が止まっているカルサは、困惑した表情で、その手を掴み、立ち上がる。 「お前にしては切り替えが遅かったな、カルサ」  ペリドが強気な表情でそう言えば、カルサはおもむろに海岸を見渡し始める。 「どうした? もしや、近くにいるのを感じるのか?」  徐々にいつもの感情の乏しい顔に戻っていくカルサに、ハウラが怪訝に問う。 「……何をだ?」  だが、かけがえの無い存在を探しているはずのカルサ本人が、どこか他人事な態度を見せていた。 「何をって、ポフィラに決まっているだろう」  その瞬間眉間に皺を寄せるカルサに、嫌な予感が走る。 「ポフィラ? さっきからお前たち、一体何の話をしているんだ?」  冷淡なカルサのその言葉に、ハウラの心は一瞬にして凍り付いたのだった。
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