憑依

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憑依

 「カルサ……お前は、無事だったんだな……」  ペリドが言った。  カルサがその場に駆け付けた時には、既に一人の犠牲者が出ていた。  それは誰からも慕われていた、とても優秀な戦士だった。  倒れているその人物を中心に、大勢の戦士たちが遺憾の表情を浮かべていた。  カルサに一番に声を掛けたペリドという男は、カルサの親友とも言える仲であった。  常に冷静で、寡黙で、無感情な顔をしているカルサとは対象的に、ペリドはいつでも熱気に満ち溢れた前向きな男だった。  しかし、流石のペリドも仲間の死を目の当たりにし、今にも泣き出しそうな表情をしている。 「ハウラ……。なんで……どうして……。私なんて……庇ったってなんの役にも立たないじゃない……」  横たわるハウラの傍らで泣き崩れているのは、ハウラの幼馴染であるモルガだった。 「モルガ。ハウラは、この戦争の先に、平穏な未来があることを信じたんだ。何もかも片付いた後、自分の信念を皆へ伝えるのは、自分よりも心優しいお前の方が最適だと、あいつはいつも言っていた。だからお前の盾になったんだ」  悲しみの表情を堪え、静かな声色でそう言うのは、ハウラの所属する隊の隊長だった。  今は皆、警戒心を解いてハウラの死を悔やんでいる。 「治癒魔術は、間に合わなかったのか」  カルサが言った。 「駄目だ。どの治療師も酷く消耗してた。それに、かなりの深手だったよ」  ペリドが拳を握りしめて低く言った。  ハウラへの思い入れが人一倍深い分、ペリドは逆に、悲しみに暮れる仲間たちの輪に入れないでいる。  じっと佇むカルサもまた、戦友のハウラの死を受け止めきれずにいた。  顔に悲しみを出さないだけで、心の中はどんよりと沈んでいた。  だが、カルサはこの重苦しい悲しみの渦に巻かれるわけにはいかないのだ。  彼はこの戦争を勝利へと導く要。  各国の戦士団を取りまとめる最高司令役として、カルサは戦場にいる。 「今は戦争。理不尽な戦いだけど、やるしかない。仕方がないって分かってる。仲間が死ぬことは、覚悟してたはずなんだ。でも……」  ペリドが奥歯を噛み締めて言う。 「でも、何でだろな。自分の友人は大丈夫だなんて、心の奥で思ってたんだ」  モルガの悲痛な叫びを背に、ペリドは静かに涙を流した。  その時、カルサの目の色が変わった。  悲しむばかりの戦士達は気付きもしないが、カルサの纏う雰囲気は今までと全く別のものになっていた。 「……カルサ?」  ゆっくりと、ハウラの方へと歩みを始めたカルサに、ペリドは不思議そうに声を掛ける。  だが、カルサは一切の反応を示さない。  俯き立ち尽くす戦士たちの間を真っ直ぐに歩いて行き、とうとうカルサはハウラの直ぐ側までやって来た。 「カルサ、さん?」  モルガがカルサを見上げる。  腫れた瞼に、真っ赤に充血した目。  意気消沈のモルガを、カルサは動じた様子も、気に留める様子も見せずに一瞥する。  カルサはその場にしゃがみ込み、まじまじとハウラを見つめた。  息絶えたハウラの口端からは、吐血の線が描かれている。  腹部には大きな切り傷が施されていた。 「大切な、人だったの?」  カルサのそれはまるで、穢れを知らない少女のような口ぶりだった。  驚きの余り、モルガの涙は止まり、ペリドも、その周りを囲む戦友達も、目を大きく見開いてカルサを見た。 「生き返って、ほしい?」  声は紛れもなくカルサのものだが、口調は全くの別人を思わせた。  その物腰の柔らかさと、あどけない表情に、誰もが悲しみの余りカルサが変になってしまったのだと考えた。  カルサは寄せられる憐れみの視線を気にすることもなく、ゆったりとした手つきで土を掬い上げる。  両の手の平でその土を包み込み、祈るように目を瞑るカルサ。  すると、見る見るうちに、カルサの手の平の中で美しい花々が湧くように咲き乱れた。  あっという間にカルサの手の平の上は、零れるほどの花で埋め尽くされた。  茎や葉の部分はとても小さく、大きく開いた花びらの影に隠れて見えない。 「泣かないで」  カルサはそう言って、モルガに花でいっぱいの両手を差し出した。  モルガは眉を歪め、再びその目から涙を流した。 「ありがとう、ございます……」  モルガがその花たちを受け取ろうとした時、強い風が吹き、一つ残らず空へと飛ばされてしまった。  カルサはその花の行方を追うように空を見上げる。  その時、風に飛ばさせる花びら越しに、ペリドとカルサの視線がぶつかった。  ペリドは確信した。  今のカルサは、自分の知るカルサではない。  他の誰かだ。  ペリドは驚きを隠せないままカルサの真っ直ぐな視線を受け止める。  カルサには神秘を操る素質はなかったはずだった。  彼に超自然的芸当は不可能。  そのはずだった。 「大丈夫だよ。私に、任せて」  儚げな仕草で首を傾げ、カルサはそう言い、微笑んだ。 「……カルサ?」  いつもと違う、まるで女性のような一人称。  だがそれよりも、カルサの柔らかい表情に、皆度肝を抜いていた。 「みんな、力を貸して」  カルサは独り言のようにそう言って、まるで空気を抱くかのように両手を広げる。  すると、心地よい風が吹いて来て、カルサの前髪を優雅に揺らした。  カルサが器を作るようにして両手を胸の前に寄せると、光の粒が風に乗って集まってきた。  両手を埋め尽くさんばかりの眩い光。  カルサはそれを、ハウラの傷口に優しく押し込んでいった。  皆、固唾を飲んでカルサのその行動を見守った。  カルサの手から流れ移った光は、ハウラの体を覆いつくし、淡く発光を続けている。  風が止み、ハウラの体から徐々に光が消えていく。  カルサは立ち上がり、一歩ハウラの体から離れると、控えめに得意な表情をして手を後ろに組んだ。 「お前! 一体―――」  呆気に取られていたペリドだったが、使えないはずの神秘術を披露し、奇妙な行動を取ったカルサを問い詰めるため、彼はカルサの襟に掴みかかった。  その時、 「ハウラ!」  モルガが叫んだ。 「ゴホッ、ゴホッ」  湿った咳の音。  苦し気な呼吸音。  驚いたことに、ハウラが息を吹き返したのだ。 「蘇生、術……」  ペリドはカルサの襟を掴んだまま、目を見開いてカルサを見つめる。 「モルガ……俺は……」  ハウラが周りを見渡し、口を開く。 「ハウラ……大丈夫、なの?」  歓喜に満ちた目に涙を溜め、モルガは上体を起こそうとするハウラの背を支える。 「傷が、塞がってるの?」  モルガはハウラの腹部を凝視している。 「ああ。そうみたいだ。それに、全く痛みを感じない」  ハウラは自分の腹を擦りながら、感心したような声を出す。 「だが、どうして……。俺は確かに……」 「カルサが、助けてくれたのよ」  モルガがカルサの方に勢いよく顔を向ける。  すると、咄嗟にペリドはカルサの襟から手を離し、距離を取った。 「カルサが? でも、どうやって……」  カルサが神秘を使えないことは、ハウラも知っている。 「良かった。力に、なれたみたいだね」  カルサはそう言って柔らかく笑った。  その時、涼やかな風が吹いてきた。  カルサの前髪が舞い上がり、安らかな表情に皆目が釘付けになる。 「一度死んだ人間を生き返らせるなど……あり得ない話だ」  ハウラが険しい表情でカルサを見つめる。 「お前、一体誰なんだ」  ペリドが困惑の表情で問う。  親友であるカルサの体の中に、知らない誰かがいる。  そう確信しているペリドは睨みをきかせたいところだが、ハウラの命を救った人物に、敵意を剥き出しにするわけにはいかなくなった。 「私は……」  カルサの中の誰かが何かを言いかけた時、一際強い風が吹き荒れた。  砂を巻き上げ、視界が悪くなる。  ペリドは思わず目を瞑り、腕で顔を守る。  次にペリドが目を開けた時、カルサはいつも通りの、冷静で、冷酷な、何にも動じず全てを見透かすような、そんな鋭い目つきに戻っていた。 「カルサ……なのか?」  だが、今まで見たこともない程、安心したような顔で彼は言ったのだ。 「上手くやってくれたみたいだな」  ……と。
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