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救世主
「ペリド! ペリド、しっかりして! 死なないで!」
目の前の光景に、カルサは呆然と立ち尽くしていた。
周りには大勢の戦友たち。
皆、酷い怪我を負っている。
何人も死者が出ていた。
そして、今まさにその数が一つ、足されようとしていた。
「ペリド……ペリド……」
横たわるペリドの胸には風穴が空いており、口には吐血した跡がある。
衰弱し切った顔。
開き切らない両の瞼。
今にも途切れそうな浅い呼吸。
「ペリド……てめえが死んじまったら、誰がこの世界を救うってんだよ」
そう言った男は、ペリドの友人であるソレースだった。
力技に優れた戦士だ。
いつも楽観的な考えで、時に空気を読み間違い、浮いた存在になりがちな彼だが、今はその場にいる大勢の者の心を代弁していた。
「ペリド……そんな、どうすれば……」
先ほどからペリドの傍らで泣き崩れている女は、ペリドと共に戦闘力を高め合った仲間の一人であるルビーだった。
幼い頃から切磋琢磨したペリドが死にかけている状況を、受け止められずに泣いてばかりいる。
カルサはそんな彼女を、少し離れたところから眺めている。
激しい感情として顔には出ないが、カルサの胸は騒めき、呼吸は荒くなる。
まさかこの戦争の要であるペリドがこうも深手を負うなど、カルサは想像もしていなかった。
「ゴホッ……」
ペリドが苦しそうに咳をし、血を吐いた。
「ペリド!」
ルビーが叫んだ。
ペリドはもう助からない。
皆がそう思い、絶望した。
もう自分たちに勝ち目はない。
世界が終わる。
誰もが死にゆくペリドから目を背け、明るい未来を諦めた。
とうとうペリドの目が、ゆっくりと閉じられた。
だがその直後、
「カルサ!?」
ペリドの傍らに、必死の形相でカルサが勢いよく飛び込んできた。
カルサは両手でペリドの胸の傷を押さえつける。
カルサの両手は白く淡い光に包まれ、どこからともなく緩やかな風が巻き起こった。
それは明らかに神秘なる力だった。
カルサの額に汗が滲み、奥歯はきつく噛み締められる。
「ポフィラ! お願いだ! 出てきてくれ!」
周りの戦士たちが呆気に取られる暇もなく、カルサが力の限りにそう叫んだ。
すると、地面に映るカルサの影が揺らぎ、その中から、弾き出されたかのように一人の少女が出現した。
長い髪を緩やかに靡かせ、空中でくるりと回転し、少女は音もなく着地する。
「だ、誰……?」
ルビーは目に溜まった涙をそのままに、困惑の表情で呟く。
地面から飛び出してきた少女は何も言わずに柔和な笑みを浮かべ、汗だくになっているカルサの手に自分の手を重ねた。
淡く儚げだった白い光は、少女が手を重ねた瞬間に眩く強烈なものへと変化した。
同時に風の流れも強くなり、少女の髪や洋服の袖を激しく煽る。
周りに立つ戦士たちは、食い入るように光の根源である少女の手元を見つめた。
少女が織り成す魔術を間近で目にしているルビーとソレースは空いた口が塞がらない。
彼女の放つ神秘のオーラは、今まで見たことも感じたこともないほど濃く、強く、そして煌びやかだ。
ペリドの顔色に、段々と温度が戻り始めていた。
それに気付いたルビーは、歓喜に満ちた目でペリドの顔を覗き込む。
その様子を見た周囲の戦士たちも、期待を最大限に含んだ表情を次々に見せた。
だが、ただ一人、カルサだけは悔し気に唇を噛み締め、やるせない思いをその顔に貼り付けていた。
ペリドが、ゆっくりと両目を開けた。
「ペリド!」
「あ……あ、れ……? 俺、どうなったんだ?」
その声は酷く枯れていたが、ペリドの表情には痛みに堪える苦しみも、死への恐怖も窺えなかった。
ただ、深い眠りから、たった今目覚めたような、そんな顔をしていた。
「良かった……。良かったなあ! ペリド!」
ソレースがそう言って涙を拭う。
戦士たちが両手を上げて踊るように喜んでいる。
「ありがとう! あなたが助けてくれたのよね! 本当に、本当にありがとう!」
涙を流しながら、ルビーが脱力して疲れ切った様子のポフィラを抱きしめた。
その光景を、周りの戦士は微笑ましいものでも見るような目をして笑った。
そんな馬鹿騒ぎの中、カルサだけが未だ地べたに座り込んでいた。
「ごめん……ごめんな、ポフィラ……」
今にも泣きだしてしまいそうなほどに歪めた顔を俯かせ、カルサが掠れた声を漏らす。
救世主。
誰もがその少女のことをそう思った。
満を持して現れた、地中に住む救世主だと、信じて疑わなかった。
そして、その救世主を呼び出したカルサはこの世界の英雄だと、皆が口々に讃えだす。
それにも関わらず、カルサは一向に立ち上がろうとしない。
拳を膝の上で握りしめ、ぎりぎりと奥歯を噛み締めている。
「カルサ? 一体どうしたんだよ」
いつまでも顔を俯かせているカルサに、すっかり回復したペリドが怪訝な顔をして声を掛ける。
「ポフィラ、って言ったか? あの子のおかげで大勢の命が救われる。皆の士気も上がった。いつの間にあんな優秀なヒーラーと知り合いになったんだ?」
沈んだ様子のカルサを元気づけようと、わざと明るい声でペリドは質問を続ける。
「……幼い頃から、一緒だった。ずっと、一緒にいた」
絞り出すようにカルサは言う。
「はあ? 何冗談言ってんだよ。お前とは小せぇ時からの馴染みだが、一度もあんな美人見たことねえぞ?」
困り顔を見せて笑い、ペリドは言った。
カルサは再び黙り込む。
「何か良く分からねえけどよ、あのヒーラーの子は頼りになる。きっと別の場所でも怪我人がでてるはずだ。連れて行っていいだろう?」
ペリドの言葉に、カルサは力なく首を横に振った。
「何でだよ。もしかして、あいつお前の―――」
「カルサ! ペリド!」
ペリドの言葉を遮って、ルビーが冷静さを欠いた声で叫んだ。
「こ、この子! 息してないの!」
脱力したポフィラの肩を抱きかかえているルビーに、ペリドは険しい表情で駆け寄った。
しかし、カルサはその場から動きはしなかった。
視線すら向けなかった。
「……死んでるのか? な、何で……」
まるで、こうなることが分かっていたかのよう。
「お、おい! カルサ! 一体どうなってんだよ!」
ペリドはその青ざめた顔をカルサに勢いよく向けた。
「カルサ!」
怒鳴り声とも取れるペリドの呼び声に、ようやくカルサは立ち上がる。
何も言わずにふらふらと足を運び、カルサはルビーの腕の中で脱力しているポフィラの前に跪く。
ルビーの言うように、ポフィラは息をしていなかった。
カルサは切なげに目を細め、ポフィラの頬に手を添える。
既に彼女の肌は冷たかった。
それなのに、ただ眠っているようにしか見えないほど、あどけない、安らかな表情をしていた。
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