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首輪
「なんでお前がここにいる!」
遅れて駆けつけたカルサが突然、逼迫した表情で怒鳴った。
その驚きと絶望に満ちた目は、数メートル先で座り込む少女の背へと真っ直ぐに向けられている。
「ど、どうしたんだよ、カルサ」
ペリドはカルサの様子に目を見開いて、うろたえた声を出す。
いつも冷静沈着なカルサが、声を荒らげるのは珍しい。
しかも、こんなにも幸福に包まれた空間での出来事だから、余計にペリドは胸をざわつかせた。
直前までその場は、希望を取り戻した戦士たちの陽気な雰囲気で満たされていた。
奇跡を目の当たりにしたからだ。
突如舞い降りるように現れた一人の少女が、致命傷を負った戦士たちを次々に治療し、あっという間に完治させていった。
今もその少女は、一人の負傷者を前に治療を施している。
壊滅的状況に陥った戦士たちを救い、希望の光を与えたその少女に、カルサは一目見た瞬間に怒号を浴びせたのだ。
最高司令役であるカルサを非難する者は誰もいなかったが、大勢の戦士が困惑した表情でカルサを見つめている。
しかし、カルサはそんな視線など意に介さず、未だ信じられないものを見ているかのように少女を凝視している。
親友であり、共にいくつもの戦場をくぐり抜けて仲であるペリドは、カルサに絶大な信用を置いている。
敵意こそ感じないが、少女がここに存在していることを良しとしている態度ではない彼を見て、ペリドは少女の目的を疑い出す。
自分たちを油断させるために癒しの力を使ったのではないか。
そうだとしたら、全員を万全の状態にしても、一人で立ち向かうことができるほど、強大な力を持っているのではないか。
武器は構えずとも、ペリドは少女へ警戒の視線を送った。
確かにその少女は最初から不思議だったのだ。
突然目の前に現れ、すました顔で瀕死の状態の戦士へと真っ直ぐに歩いていき、魔術を使って傷を癒していった。
見た目はとても幼く、神秘を扱える年齢に達しているようには見えない。
連合を組んだ各国の戦士には若者が多いが、カルサやペリドの代が最年少である18歳だった。
対する少女は、表情は大人びてはいるものの、背格好からして15歳を満たすか否か程度にしか見えない。
そして、戦場に似つかわしくない簡易的な服。
靴は履いていない。
その首には頑丈で重たそうな鉄の首輪が嵌められていた。
その首輪には鍵穴が付いており、簡単に外れそうにはない。
話しかけても何も言葉は返ってこなかった。
声が出せないようだった。
彼女はまるで、この惨状を初めから見ていたかのように、致命傷を負っている戦士の元だけに迷うことなく足を運んだ。
血の噴き出す惨い傷口に、この世の穢れを知らぬ幼子のような瞳を向け、淡々と治療を施していった。
ペリドは、カルサが到着するまでの少女の行動を思い返し、己が覚えた違和感を頭の中で並べる。
どちらにつけば良いのか分からず、近くに立つ自国の戦友たちへと順番に目を向ける。
その時、少女がおもむろに立ち上がった。
治療は済んだようで、少女の足元ではペリドが率いる隊の一員であるマリンが安らかな寝息を立てている。
地面を離れた少女の黒髪が、突如吹き荒れた風に舞い踊る。
この殺伐とした戦場を練り歩いたその素足は、少しだけ血が滲んでいた。
少女はカルサへ振り返ると、にこりと無邪気に微笑んだ。
カルサの瞳が困惑に揺らぐ。
そこでペリドは痺れを切らす。
「おいカルサ! 説明しろよ! お前何をそんなに……」
だが、ペリドはそこまで言って言葉に詰まった。
カルサは今、怒っているのだろうか。
確かに、僅かながらに怒りの念は感じ取れる。
だが、強い驚き、そして動揺も感じる。
絶望も染み出ている。
どこへ向けられているかも分からない苛立ち、後悔、後ろめたさ、更には哀しみ。
それに混じり、極度の切望までもが、親友であるペリドには読み取れた。
らしくもなく様々な感情を表に滲み出すカルサに、ペリドは不安を覚えた。
ペリドだけでは無い。
カルサと親しい戦友、師範、部下も、カルサの動揺した姿にうろたえる。
「何人……助けた……?」
カルサがやっと口を開く。
だが、それは質問を投げかけたペリドへの返事ではない。
カルサは下唇を噛みながら、やるせなさを含んだ瞳を少女へと向けている。
カルサの質問を受け、少女は目をぱちくりと瞬かせると、音もなく困った笑いを見せる。
カルサが怪訝な顔をすると、少女はつんつんと自分の首に嵌められた鉄の首輪を指さした。
カルサはハッとなり、突然自分の簡易防着を乱暴に脱ぎ捨てた。
そして襟元をはだけさせ、自身の首にかかった長いチェーンを引っ張りだす。
そのチェーンの先には古びた鍵が付いていた。
誰もが目を見開いた。
そして察した。
カルサが持つそれは、少女の首輪の鍵であると。
カルサはその鍵を手に、躊躇いがちに少女へと足を運ぶ。
皆、固唾を飲んで見守った。
いや、誰も何も、二人の異様な雰囲気に口出しをすることが出来なかった。
カルサが少女の目の前まで迫る。
少女は両目を瞑り、首を反らせた。
カルサの持つ鍵が、首輪の鍵穴へと差し込まれる。
カチャリと小気味の良い音がして、少女の首輪が外された。
想像よりも質量のある音を鳴らし、鉄の首輪は地面へ落ちる。
「お、お前! そんな趣味があったのか!?」
突然、近くで様子を見ていたソレースが、顔を赤らめてわなわなとそう言った。
だが、誰もその言葉には反応せず、白けた視線がソレースを刺す。
「ふっ……ふふっ」
妙な空気の中、突然少女が吹き出した。
そして言った。
「安心した。カルサ、全然独りなんかじゃないね」
無垢な笑みを見せる少女。
「まさか俺が心配で、こんなに早く来たとか言わないよな?」
今日のカルサはよく喋る。
ペリドはそう思い、数メートル距離を開けたまま、会話を続ける二人を交互に見る。
「そんなに私、早く来た? むしろ、少し遅すぎたかなって思ったよ?」
「そ、そんなこと……ない……」
カルサは尻下がりに声を小さくし、後ろめたそうに視線を逸らす。
妙な沈黙が流れる。
カルサは罰が悪そうにそわそわと瞬きをしているが、少女は真っ直ぐにカルサを見つめ、口元に笑みを浮かべている。
「ひゃく……ろくにん……かな?」
不意に、少女が口を開く。
「でも、ね……みんなには悪いけれど……」
少し話しにくそうに唇を動かしている。
「瀕死……の、人しか……助けてない、の……」
徐々に、少女の声が枯れていく。
体がふらふらと安定しなくなり、眠たそうに瞬きをする。
「ポフィラ?」
ふらつく少女を視界の端で捉え、カルサが顔を上げて呟く。
ポフィラと呼ばれた少女の口元には、未だに凛々しい笑みが浮かんでいる。
しかし、遂にポフィラの膝の力が抜けた。
すかさずカルサが足を踏み出し、ポフィラの膝が地面に着く前に抱きとめる。
「ポフィラ!」
体全体から力が抜けているポフィラ。
カルサがポフィラの肩を揺する。
「きゅ、急にどうしたんだ?」
ペリドも駆けつけ、困惑した顔でポフィラを覗き込み、そう言った。
「カルサ……ごめんね。106人分、少しだけ……行ってくるね……」
ポフィラは掠れる声でそう言って、カルサの腕の中で眠りについた。
周囲の戦士たちは、不思議そうに三人を眺めている。
軽傷だった戦士への手当を終えたハウラが、人混みを掻き分けてカルサの元へやってきた。
「一体、何者なんだ。そいつ」
訝しげにポフィラを見つめながら、ハウラが言う。
ソレースも興味深そうに身をかがめてポフィラを覗き込んだ。
「そいつ、蘇生の神秘を持つ魔術師か? 死んだ者も生き返らせていたぞ」
ソレースがそう言うと、カルサがぴくりと眉を動かした。
「死んだ、者も……」
カルサが呟く。
そして、やはりそうだったかと言うように、唇をやんわりと噛み締める。
「蘇生の神秘? 何かの間違いだろ。それは人間が保有するには莫大過ぎる力だ。マスターした所で生きていられる訳がない」
眉間に皺を寄せ、ハウラが冷静な口調でソレースに言った。
「でも、事実こいつはそれをやってのけたぜ? 今は眠っちまってるけど」
ソレースがポフィラを指さして言った。
ハウラは不可解さに顔を歪め、腕を組む。
「カルサ、その子どうするんだ?」
一旦会話に区切りがついた時、ペリドがカルサに言った。
カルサは何も言わずにポフィラを地面に寝かせた。
突然、辺りが真っ暗になったかと思うと、一瞬にして元の明るさに戻った。
だが、再び太陽の光を認識した時には、既にカルサたちの目の前からポフィラの姿が消えていた。
「な、なんだ?」
突然の出来事に周囲が騒めく。
「カルサ。さっきの子は……」
いなくなってしまったポフィラを探してキョロキョロと見渡し、ペリドが驚いた声色で言う。
「ポフィラは……精算に行った……」
カルサが項垂れて弱々しく言葉を紡ぐ。
「精算だと?」
ハウラが片眉を上げて聞く。
「命の精算」
カルサはそれ以上答えなかった。
そして、口を閉ざしたカルサに、誰も何かを聞こうとはしなかった。
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