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* * * *
足立泰生は病院の扉を閉め、鍵をかけようとしていたら突然若い女性に声をかけられる。血相を変え、慌てている様子から、急を要するものであることがわかった。
「あのっ、あそこで女の人が叩かれて倒れてるんです!」
「どこですか?」
「こっちです!」
女性に案内されて辿り着いた場所は、繁華街の脇道に入った、普段なら人通りの少ない路地だった。しかし今日は珍しく、大勢の人だかりが出来ている。
「すみません」
そう言いながら人ごみを抜けていくと、そこには警察官と倒れた女性がいた。警察官と顔見知りだった泰生は、頭を下げてから女性のそばに屈む。
「足立先生!」
「怪我人がいると呼ばれたものですから。何があったんですか?」
「目撃者の話によれば、痴情のもつれらしいですよ。不倫現場に妻が乗り込んで、平手打ちを四発。その後に携帯電話で殴りつけようとしたところに我々が到着して、間一髪で止めたんですけどね、こちらの女性は驚いて意識を失ったみたいです」
「なるほど。で、その夫婦は?」
「今話を聞いているところです」
泰生は女性の脈拍を測ろうと、首に手を触れる。顔にかかっていた髪がスルスルと横に流れた瞬間、思わず驚いて手を引っ込めてしまった。
この顔立ち、華奢な体つき、そして長い髪。まさか……恵那なのか?
「足立先生?」
警察官に声をかけられ、泰生はハッと我に返る。
「あぁ、すみません。知り合いだったので驚いてしまって……」
「えっ、先生のお知り合いですか? それは助かる。よろしければ名前を教えていただけますか?」
「あの……後でもいいですか? ここではちょっと……」
周りの野次馬のことを指差す。すると警察官も納得したように頷いた。
「私の実家と彼女の実家が向かいでして……。あの、病院の方で手当をしても構いませんか?」
「もちろんです」
泰生は恵那の体を抱えると、病院へと歩き出した。
* * * *
ベッドに寝かせ、顔や膝の擦り傷を治療する。その間に持ち物から身分証を見つけ、警察官に確認してもらう。
「じゃあ何かありましたら連絡させていただきますので」
「わかりました。起きたら伝えます」
警察官が去ってから、泰生は恵那の身分証に記載された住所を見る。ここに住んでいるのか……どうりで実家に帰った時も会わないはずだ。
いや、それも違うかな……あの日以降、俺は自分の意思で恵那を避けてきたから。
ベッドの横に腰掛け、恵那の髪を撫でる。寝顔は幼い頃と変わらない。
ふざけんなよ……不倫って一体なんなんだ? 恵那はそんなことをしていたのか? それとも何か理由があるのだろうか。
そんなことは信じたくない……そう思うのに、五年前のことを思い出して胸が苦しくなる。全てが間違いだと言って欲しかった。
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