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翌日は朝から稲葉課長を見つけ、混雑している人の中どうにか背中にぴったりくっついて電車に乗ることが出来た。
いい香りのする稲葉課長は俺の存在に気付いていないようで、このまま気付かれないように思う存分背中の匂いを嗅ぎまくろうと顔を近づける。
「あー、犬になりたい」
「え?げっ、カモ……カモノハシ」
「バレてしまった」
「何がだ……何がバレたんだ?俺に何かした?え?待って、俺に何をしたんだ?」
「ふふ、まだです」
「え…………まだって……なんだよ……」
イケメンなのに下手で童貞1.5の稲葉課長はかなり恐怖を感じているらしく、俺は安心させようとにっこり微笑む。
「なんで笑ってるんだ?なあ、本気で怖いんだけど」
「大丈夫です。宮城は東京よりずっと治安もいいし」
「そういう事じゃなくて……思考が怖い」
「ふふ」
「カモノハシじゃなかったら警察に行ってる」
「警察なんてね、稲葉課長……」
「え?」
背伸びして、唇を耳に近づけると現実を囁いた。
「警察なんて、極道と寝てますから」
「カモノハシ……少しなら可愛いんだよ、でもお前全部すぎて怖い」
「ふふ」
「……顔は可愛いんだけどね」
「えっ!?」
「声が大きい」
今、たった今、目の前の男は何と言ったんだろうか?
もう一度言ってくれと頼みたいものの、あまりにも衝撃的な台詞に本気で何を言ったのか忘れてしまった。ただ心臓だけは大変なことになっている。
「行くぞ」
「……はい」
あーふわふわする。そして股間が、熱い。
会社に着いても宙に浮いたようなふわふわ感が抜けなかった。脳内散歩どころの話ではなくなって、ただひたすら目の前に座る稲葉課長に目が行く。
あー、早く、早く、金曜日になって。
昼休憩になると仲村の誘いを断り、俺はすぐに五反田ナスビ株式会社に電話をしてみた。大海原さんが所属しているそこは、ゲイビ界では大手らしく門前払いされるであろう事は想像していたが、是非とも電話だけでも何とかしてもらいたい。
「もしもし〜、ナスビの霧野です〜」
「初めまして、私カジュラ化粧品の鴨橋と申します」
「あいやカモノハスさん、どんもどんも、いつもお世話になっておりますー」
言った後にしまった!と思った。会社名を出すなんてヤバイ事を言ってしまったと、でも何故かお世話している事になって、そして懐かしくも感じるイントネーションに自然と俺も東北弁になっていく。
「霧野さんは東北なんだがっす?」
「んだっす!なんで分かったんで?やんだな、カモノハスさんも東北なんだがっす?」
「んだっすー」
「んだなが!あいや、なんだがうれすぃな」
「東北の何処さ住んでたんだ?」
「宮城に」
「俺もだずー!」
話に花が咲いたのは、それからだった。
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