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横に座っている理が、小さな声で「この曲吹いたことがある」などと時折漏らすのが、いかにも可愛らしく感じられ、それもなお気分が良かった一因だろう。祖母さんに会うときは、もちろん理はいつもどおりに振舞っていたし、演奏会のときには、楽しさですっかり気が晴れたのか、始終笑っていた。
関係を持ったSubでも、パートナーでもないのに、理が喜ぶことに対して小野寺も悦びを覚えるように習慣づいてしまっていた。冷静に考えれば、不毛を通り越して、もはや悲しくなる。それを分かっていても、この子がSubとして、いつも自分の隣にいてくれたらと、また夢想してしまう。
理が恩師や知人にひととおりの挨拶を済ませるのを待っている間に、当たりをつけておいた近くにある馴染みの天ぷら屋に、席の確保を頼む電話をした。美味しい魚が入っていると聞いて、それを理に伝えると、ニッコリと微笑んだ。
理は酒を飲まないので、食事メインで考えて小野寺が提案したのだが、カウンターで食べる天ぷらは久しぶりだと言って理は喜んだ。育ちが良いので、少々値の張る店でも全く気後れすることがない。そういう面も、やはりとても好ましい。
店に行ってみると、ちょうど他の客が切れたタイミングだったのか、大将が何かと気にかけてくれた。
「弟なんだ」
小野寺が理をそう紹介すると、大将は目を丸くした。理も卒なく挨拶をした。
「はじめまして。兄から聞いて楽しみに伺いました」
「先生とは、見た目が結構違うから、そうは見えませんでしたよ」
「だろ? ほんとうは、義理の弟なんだよ。元嫁の弟」
「ああ、もしかして紗香さんの……そう言われると……」
大将から思わず、彼女の名前が出た。紗香は野菜の天ぷらが好きで、よくこの店に一緒に来ていたのだ。
「姉のこと、ご存じなんですね」
理の言葉を聞き、大将が目配せをしてきたので、小野寺は軽く頷いてから口火を切った。
「お前の姉さんは、大食いだったからな。大将がよく覚えてるんだよ」
「うわっ、すごく『らしい』」
理の言いっぷりに、3人で声を立てて笑ったので、場が和んだ。大将は、やんわりとだが小野寺の離婚事情を知っていた。
別れるとき、最後に2人で食事をしようということになって、行った先もこの店だったからだ。静かに素知らぬふりで、話が聴こえていた部分はあったのだろう。
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